その一人だと神尾が重ねて思いました。
だからこの女は、浜松に生れて、神尾家に奉公し、先代の神尾に寵愛《ちょうあい》されたことは忘れている。今日まで一緒に暮らしていた福村のことも、もう忘れかけている。
娼婦の如くもてあそばるるために生れた女があるものだと、神尾は、今あらたまったようにこの女の毒に触れました。
そこで、だまって、障子の中へ入って行く途端に、自分の面《かお》が大きくお絹の見ていた鏡へうつるのを見出して、思わずクラクラと眩暈《めまい》がしました。
いつになっても、蠱惑的《こわくてき》な若さを持ったお絹の面と、眉間《みけん》の真中に大傷を持った自分の面とが、鏡面に相並んで浮び出でたのを見た神尾は、クラクラと眼がくらむのを覚えました。
「ああ、なんという醜《みにく》い面《つら》だ」
神尾は腹の底から、自分の生れもつかぬ傷を呪いました。お絹の面《かお》が、見るたびに色っぽくなってゆくにひきかえて、自分は生涯、人中へはこの面《つら》を出されはしない。
弁信が憎い。おれの面体《めんてい》にこの傷をつけたのは、あのこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]の、お喋りの、盲目《めくら》の小法師の仕業《しわざ》だ! そこでいつもきまって、弁信というものを憎み呪うのが例になっている。
「ずいぶん大きな傷でございましたわね」
とお絹も、この鏡にうつる傷の大きさを、いまさら驚いた様子です。
「愛想《あいそ》が尽きるだろう」
「なあに、あなた……」
この舌たるい言葉を、神尾は二様の意味で聞きました。一つは傷などはどうあろうとも、面付《かおつき》などは、いかに拙《まず》かろうとも、男でさえあればたんのう[#「たんのう」に傍点]しますよという意味にも聞え、もう一つはなにそのくらいの傷は、あなたの男ぶりの全体には少しもさわりにはなりませんよ、という意味にも聞える。
この傷が癪《しゃく》にさわるから、神尾は、日ごろつとめて鏡を見ないことにしていました。今、こうしてまともにうつ[#「うつ」に傍点]されてみると、一時は、眼まいをするほどに、呪わしさと、腹立たしさを感じましたが、落着いてみると、それが裏を返して皮肉になり、わざと、見つめるだけこの傷を見つめてやろうという気になり、鏡にうつる傷の面《かお》をじっと力を籠《こ》めて見つめたものです。
「おれには眼が三ツある」
神尾は自
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