ずの敵が容易に来ない。一陣を斬りくずして、余れる勢いでこの孤城に殺到して来るべきはずの敵が、なかなかに来ないのであります。
「久助さん……来ませんね」
「ここに隠れたことを知らずに、通り越したのかも知れねえぜ」
「そうだとすれはまたひきかえして来るかも知れません」
「ナアニ、そのうちには、お大名のお通りがありますよ。お通りがあれば、あんな悪い奴は、蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げてしまいますからね」
ここで、万々一のお大名行列の威力まで引合いに出して、お雪に力をつけてみたのですが、お雪の耳へは入らないで、
「先生がかわいそうだわ」
「どうも仕方がございません、助ける手段がねえのだから」
「先生も悪いわ、早く馬で逃げてしまえばよかったのに。ですけれども、そうすれば、わたしたちが直ぐにつかまってしまいます……でも、同じことなら、眼の見えない人より、眼の見える人が先に殺された方がよかったかも知れない」
「あ、人の足音がするようです、静かに――」
久助はお雪をかかえて、身体《からだ》を固くする。
しかし、人の足音と思ったのは僻耳《ひがみみ》でしょう。そうでなければ表の戸を守っている主《あるじ》と、駕籠屋と、馬方とが身動きをしたのか、またそうでなければ、桔梗《ききょう》ヶ原《はら》から塚魔野《つかまの》へ、意地の悪い鴉《からす》が飛んで行く羽風であったかも知れない。
諏訪からのぼって来た人は、峠の上のこの騒ぎで、五条源治の立場《たてば》あたりに食い止められているんだろう。塩尻からは、まだここへ通りかかるほどの早立ちの客がなかったものと見てよろしい。
それですから、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原は空々寂々として、原林のような静けさ。まして雪もよいの陰鬱な天気。
ところで……高原の空気に冴《さ》ゆる剣の音も聞えない。吹き来《きた》るべき暴風が途中で沈没してしまったものか、或いは人の恐怖を出し抜いて、その頭上を通り越してしまったものか、いつまで経っても、一軒屋の表戸をおどろかすものがありません。いったいどうしたのだ。あまりのことに、こっそり戸をあけて、もう一度様子を見ようとまで気がゆるんだ時に、ようやく野風のさわぐ音。
この間、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原には、灰色の雲がいっぱいに立てこめて来ました。
諏訪の盆地は隠れて見えず、鉢伏《はちぶせ》と立科《たてし
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