の紋のついた提灯をつけて、お附添のさむらい[#「さむらい」に傍点]衆が四五人、もっともその中の一人のお方が、さむらい[#「さむらい」に傍点]姿でない棒を持ったお方と、こうお尋ね申しているんでございます」
「うむ、それか、それならば、たった今、ここを通った」
「有難うございます」
喜んで駈け出した旅人風の後ろ影を見送ると、その男の足の迅いこと、右の肩から腕へかけて、急にすべり過ぎている姿勢《なり》恰好《かっこう》。
「はて……」
乗物が怪しい! その瞬間に兵馬の頭脳《あたま》にひらめいたのがそれです。その途端に、鳥居の後ろからそろそろと人の姿が現われて、
「兵馬様、兵馬様」
と呼ぶ声。それは七兵衛の声です。
例によって、笠をかぶって合羽を着た旅装の七兵衛は、鳥居の裏から出て来て、
「兵馬様、私はさいぜん[#「さいぜん」に傍点]から残らずこっちで承っておりました、山崎先生のおっしゃることが、いちいち御尤《ごもっと》もに聞えますると共に、あなた様の御身について、合点《がてん》の参らぬ節《ふし》が多いようでございます、それを少しばかり、七兵衛にお聞かせ下さいまし」
といって、兵馬とは向い合った鳥居の台石に腰をかけると、兵馬は、
「ああ、自分で自分の心がわからぬ」
「いったい、お前様は、ほんとうに山崎先生をお斬りになる御了見《ごりょうけん》なんでございますか。それはたしかに山崎先生にもおわかりにならないように、私共にも一向|解《げ》せないことでございます。なお、山崎様のおっしゃるところを聞いておりますると、お前様は、このごろ、吉原へしげしげおいでになるとやら、そこへ図星を差した山崎先生のおめがねは、見上げたものだと七兵衛も感心致しました。悪所の金に詰まって、心にもない人の頼みをお受けになって、由《よし》ない人を討とうとなさるお前様とは存じませぬが、いかなる人も女に迷うと人間が変ります、もしお金がいりようでございましたら、失礼ながらいくらでも、私の手で都合して差上げますから、軽挙《かるはずみ》なことはなさらぬように……と申し上げますと、口幅ったいようでございまするが、ともかく、お金で済むようなことでしたら、いつでも御遠慮なく、御相談を願いたいものでございます」
「いつもながら、そなたの親切は有難い。そういえば世間のことは、大抵は金で済むようなものじゃ、打明けていえば、拙者の迷うていることもその一つかも知れない、金があれば、ここまで深入りをせずともよかろうものをと思われないではないが……」
と兵馬はいいかけて、また打悄《うちしお》れてしまいます。実際、今の兵馬の場合は金の問題で、怨みもない人を殺《あや》めようと決心を起したのも、せんじつめればそれです。七兵衝からそこへ水を向けられてみると、渡りに舟のようなものではあるが、なんといっても相手がこの田舎老爺《いなかおやじ》では、お歯に合わないほどの金が要ると思うから、親切は有難く思っても、いっそう打悄れるのが関の山です。ところが七兵衛は、存外に腹がいいと見えて、
「それは何よりです、金で思案がきまることでしたら、及ばずながら私が骨を折ってみようではございませんか。いったい差当りお前様は、どのくらいお金がおありになればよろしいのでございますか」
「いいや、それはいうまい、いうたとて詮《せん》のないことじゃ、今までもそなたには、随分世話になっているのに――」
「まあ、おっしゃってみて下さい、七兵衛の手で出来ればよし、出来なければ出来ないと申し上げるまでですから――」
「正直にいってみると、差当り三百両ばかりの金が要ります」
「三百両……」
七兵衛は、そこで、ちょっと黙ってしまったのは、むろん後込《しりご》みをしてしまったものと兵馬は諦《あきら》め、いっそこんなことをいわない方がよかったと思っていると、七兵衛は率直に、
「よろしうございます、私が、きっとその三百両をあなた様のために、三日のうちに調《ととの》えて差上げましょう。その代り私から、あなた様に一つの願いがございます」
そこで兵馬が意外の思いをしているのを、
「お願いというのはほかではありません、あのお松のことでございます。あの子は私が大菩薩峠の上で拾って来た、かわいそうな孤児《みなしご》なんでございます、私だって、いつまでもあの子の後立てになっているわけには参りませんし、それに、私が後立てになっていたんでは、あの子のために末始終、よくないことが起るかも知れませんので……どうかあなた様に、行末永く、あの子の面倒を見てやっていただきたいのでございます」
こういって改まって、お松という女の子の身の上を頼みます。
「それはよく心得てはいますけれども、今の拙者の身では、人の力になってやることができない」
「それは嘘でございます」
七兵衛は
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