ているのもあります」
「ございます、ちょうど、雨だれの簷《のき》を落ちる時のような同じ形が揃って、鍔《つば》の下から切尖まで、ずっと並んで、いかにもみごとでございます」
「あ、では五《ぐ》の目《め》乱《みだ》れになっているのだろう。それから、錵《にえ》と匂《にお》い、それは、あなたにはわかるまいが……銘があるとの話、その銘は何という名か覚えていますか」
「小さい時から聞いておりました、国広《くにひろ》の刀だそうでございます」
「国広……」
「はい」
「ただ、国広とだけか」
「ええ、国広の二字銘だとか、父が申しておりましたそうで」
「ああ、国広か」
 竜之助にかなりの深い感動を与えたものらしく、刀を二三度振り返してみて、
「国広にも新刀と古刀とあるが、これはそのいずれに属するか、相州の国広か、堀河の国広か」
とひとり打吟じて、
「多分、堀河の国広だろう、ああ、いい物を手に入れた」
 彼の蒼白《あおじろ》い面《かお》の色が、みるみる真珠の色に変ってゆくと、
「堀河の国広というのは、よい刀ですか」
「新刀第一だ」
 その真珠色の面が刀の光とうつり合って、どこかに隠れていた血汐《ちしお》が、音もなく上って来るようで、気のせいか女の鬢《びん》の毛が、風もないのに動いて見えます。
 刀を抛《なげう》ってここにほぼ百日。ようやく人の世の微光がその眼に宿りかけた時、再びこれに刀を与えた。要《い》らざる餞別《せんべつ》。与うべからざるものを与うるのが、女の常か。

         四

 雨のしとしとと降る中を、わざと甲州街道の本街道を通らずに、山駕籠に桐油《とうゆ》をまいて、案内に慣れた土地の駕籠舁《かごかき》が、山の十一丁目まで担《かつ》ぎ上げ、それから本山を経て五十丁峠の間道を、上野原までやろうとするのは、変則であってまたかなりの冒険です。しかし、駕籠屋が好んでそれをやるわけではなく、また乗る人が好んで、それを行きたがるわけでもなく、要するに女の特別の頼みと、駕籠屋が山上に住んでいて、往返《おうへん》の距離と案内においてかえって優れているせいと思われます。女は、そこまで見送って、別に一人の男をつれて、駕籠屋には駄目を押して、参籠堂から本道を家へ帰ってしまいました。
 十一丁目までの間は、壁にのぼるような急勾配《きゅうこうばい》。それから道は緩《ゆる》やかになって、そこで駕籠屋たちも無駄話をする余裕が出来ました。
「もし、旦那様、あの花屋のお若さんは、あなたのおかみ[#「おかみ」に傍点]さんですか」
 朴訥《ぼくとつ》な言葉で、前棒《さきぼう》をかついでいた若いのが、駕籠の中の竜之助に問いかけたものですから、竜之助もむずがゆい心持で、
「違う」
「そうですか、お若さんは江戸で御亭主をお持ちなすったそうですが、本当でしょうか」
「拙者は、それをよく知らないのだ」
「そうですか」
といって、前棒の若い駕籠屋は黙ってしまいました。その言葉つきによって見ると、これは全く土地の人間で、雲助風の悪ずれしたのとは、たちが違うことがよくわかります。暫く無言で、やや坂道になったところを上りきると、今度は後ろのが、
「お若さん、子供があるって本当だろうか」
 ぽつりと、思い出したようにいい出したのは、前棒のよりはやや年とったような声です。そうすると、前のが、
「ああ、そりゃ本当なんだ、なんでも今度は、その子供を引取って来るとかいってるものがあったよ」
「子供があれば御亭主があるだろう」
「そうだな、御亭主があっても子供はないのはあるが、子供があって御亭主のねえというのはあるめえ」
「では子供と一緒に御亭主さんも来るんだろう」
「そうかも知れねえ」
 あたりまえならば、この会話に何か皮肉が入りそうなのを、極めて平凡な論理と想像で進行させてしまって、道はまた少しく勾配にかかるので黙ってしまいました。
「旦那様」
 今度のは、後ろの駕籠屋が思い出したように、駕籠の中に向って言葉をかけました。そこで竜之助は、
「何だ」
「わたしどもは、あんまりお若さんが親切にあなた様の世話をなさるから、それで、お若さんはあなたのおかみさんだろうと、もっぱら噂《うわさ》をしておりましたよ」
「それは有難いような、迷惑なような話で、拙者は世話にはなったけれども、縁はないのです」
「それでも、お若さんは、大へんあなたに御恩になったように申しておりましたよ」
「別に骨を折って上げた覚えもないけれどな、まあ計らぬ縁でこうして世話になるのだ、あれはなかなか親切でよい人だ」
「そうです、親切で、気前がなかなかようございます。旦那様は、あのお若さんの盛りの時分から御存じですか、それとも、近頃のお知合いなんですか」
「ほんの、つい近頃の知合いだ」
「そうですか、小名路《こなじ》の花屋のお若さんといえ
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