ん。
 白虹《はっこう》日を貫くのは不祥である、月光|紅《くれない》に変ずるのも只事ではない。日月は天にあって、人生を照覧するものだから、心を虚《きょ》にしてそれを直観していると、すべての人間界の異象《いしょう》がまず以て日月の表に現われるのだということを、まじめに信じているものがあるのですから、夜な夜な月色が紅に変ずるのを、吉兆と見たり、悪瑞《あくずい》と見たりする者の出づるのも抑えることができません。そうだという迷信に対して、そうでないという正信も成立ってはいないらしい。
 一本の卒塔婆を中にして、盲法師のお喋《しゃべ》り坊主の弁信と、刃をつきつけた机竜之助とが相対している時に、たまたま道志脈の上に横たわる月の色が変ってきました。たとえ、一時《いっとき》とは言いながら、血のように紅く見え出してきたのが不思議です。
 とはいえ、それは都大路で見る時のように、多くの人が人だかりして指さし騒ぐのではない。この小高原のあたりでは、もうすでに寝静まり、月見寺の庭には、こうしてただ二人だけが相対しているのみで、しかも、その二人ともに眼がつぶれているのですから、月が紅くなろうとも、青くなろうとも、あえて驚く人ではありません。
 しかし、月の紅く見えたのはホンの一時、あれと言っている間に、もとの通りの冷々然たる白い光を静かに投げて、地上は水を流したようです。
 机竜之助の刀を突きつけてジリジリと詰め寄るのは、非常に悠長なもので、名人の碁客が一石をおろすほどの静粛と、時間とを置いて、弁信法師に迫っては行くが、まだたしかに両者の距離は三間からあります。盲目となって以来、この男の刀の構えぶりが、一層静かになってきました。刀を以て敵を斬るよりは、刀をふせ[#「ふせ」に傍点]て敵を吸い寄せるの手段かに見えます。思うに、盲目となって以来、幾多の人を斬った手段が皆これでしょう。刀を構えると、全身の殺気が電流の如く、その刀に流れ寄って来るのであります。蛇が樹下にあって口を開くと、鼠がおのずからその口中に落ちて来るように、この流るるが如き殺剣《さっけん》を突きつけられると、何物も身がすくんで、我とその刃に触れて、命を終らぬということはありません。斬るよりは寧《むし》ろ斬られるのです。のがれんとするよりは、近づいて来て斬られてしまいます。
 ひとりこのお喋り坊主の弁信に限って、その怖るべき吸引力の
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