多分、追剥《おいはぎ》にでもつかまったのでございましょう……そうでなければ、人に恨みを受けるような姉ではございません」
「嗚呼《ああ》!」
 弁信法師が傍らから、思わず感歎の声を立てたのは、その出来事の悲惨に悲しむよりは、姉を信ずる妹の心に動かされたようです。
「姉は、人に恨みを受けるような人ではありませんでしたのに……」
 娘は重ねて、さめざめと泣きながらいいました。
「いいえ、あなたの姉さんは、人に恨みを受けているのですよ」
 弁信法師がいいますと、泣いていた娘は、躍起《やっき》となって、
「それは違います、わたくしは、あの姉さんとは義理ですけれども、あんな親切な姉さんはありませんでした、皆の人に好かれました、恨みを受けて殺されるような人ではありません」
「親切な人だから恨みを受けたのです、人に好かれるから恨みが集まるのですよ、好かれない人は恨まれません」
「違います、違います」
 娘は袖に面《かお》を押当てて頭を振りましたが、やがて声を立てて泣きふしてしまうと、竜之助は、
「誰が殺したかわからないのですか」
「先生、殺したのはあなたです、あなたのほかにあの方を殺したものはありません」
と弁信がいいました。
「ナニ?」
「嘘と思召《おぼしめ》すなら、前生《ぜんしょう》および後生《ごしょう》をたずねてごらんなさいまし。天上へ昇りましょうとも、地下へ降《くだ》りましょうとも、あの方の真白い胸に、血のついた刃《やいば》を突き刺している姿を、あなたのほかに見出すものがありましたら不思議でございます」
「弁信さん、何をおっしゃるのです、ここにおいでなさる先生が、どうしてそんなこと。あなたは血まよっておいでなさいます」
と娘がささえると、弁信は澄ましきって、
「私は血まよっておりません、私のいうことが本当でございます」
「弁信さん、そういう無茶なことをおっしゃっては先生に申しわけがありません、あなたは何か勘違いをしておいでになります」
 娘は泣きながら弁信をたしなめるのも無理はありません。ここと巣鴨の庚申塚とは、数十里を離れているのに、当人は半ばは病気で、その上に目の光を奪われている身であるのに――
 それでも竜之助は、弁信のいったことを、娘が気にかけているほど気にかけないと見えて、
「かわいそうなことをした」
といったきりで、口を結んでしまいました。
「御免下さいまし、ま
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