れではあんまり人が悪過ぎますぜと、そうおっしゃって下さいといったまま、逃げるように行ってしまった恰好《かっこう》が、笑止千万《しょうしせんばん》であった」
「ふふむ」
 南条力も何を思い出したか、吹き出しそうな気色です。
「しかし、山崎譲にであわなかったのを何よりとする。時に、宇津木兵馬はいるか知らん」
 五十嵐がたずねると南条が、
「あれも、血眼になって、たった今、どこかへ出て行った」
「例のだな――困りものだ」
「天下を挙げて血眼になっているのだ、達人の目から見た日には、権勢に飢えて血眼になっている奴等と、たいして択《えら》ぶところはあるまいじゃないか、我々もまた御多分には洩れまいじゃないか。しかし諸君、時勢の展開のために、おたがいは、もう少し血眼にならなければ嘘だ、少なくとも色に心中するほどの真剣さを以て、国家の大事に当らねばこの民が亡びる……」
 南条力は、慷慨《こうがい》の意気を色に現わしました。

         十七

 両国の女軽業の親方お角は、
「ああもしようか、こうもしようか」
と次興行の膳立てに、苦心惨憺の体《てい》です。
 というのは、肝腎の呼び物、清澄の茂太郎に逃げられて、三日間病気休業の張出しをして、その間に連れ戻そうとしたが、とうとう発見することができず、やむを得ず熊の曲芸と、春雨踊りというのでお茶を濁していたが、この次に何を掛けよう。これがためにお角は、火鉢によりかかって、長い煙管《きせる》で煙草を吹かしてみたり、置いてみたり、苦心惨憺のところです。
 しかし、絶えず行詰まって展開を求めることがこの女の苦心でもあれば、そこにはまた言うにいわれぬ楽しみがあるらしく、目先を変えて同業者をあっといわせ、江戸の人気の幾部分を両国橋の自分の小屋へ吸いとることに、この女の功名心が集まって、それがためこの女は、興行師の味を忘れることができないのであります。
 けれども、今度という今度はかなり行詰まって、さすがの女策士も展開の道に窮してしまって、「ああもしようか、こうもしようか」の決着が容易につかない。それというのも、不意に清澄の茂太郎を奪われたからです。はるばる安房の国まで生命《いのち》がけで行って、不思議な縁で茂太郎を連れて来て、「山神奇童」の売り物で呼んでみると、案《あん》の定《じょう》大当りで、この分ならば、趣向を変えて二月や三月は、この人
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