に鬱懐《うっかい》をやるの体《てい》。
 興に乗じて微吟が朗吟に変ってゆく。
 この人は、会心の詩を朗吟して、よく深夜人をおどろかす癖があります。
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志賀、月明の夜
陽《あら》はに鳳輦《ほうれん》の巡《じゆん》を為す
芳野の戦ひ酣《たけなは》なるの日
また帝子《てんし》の屯《たむろ》に代る
或は鎌倉の窟《いはや》に投じ
憂憤まさに悁々《えんえん》
或は桜井の駅に伴ひ
遺訓何ぞ慇懃《いんぎん》なる……
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 歌いゆくと興がいよいよ湧き、
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昇平二百歳
この気、常に伸ぶることを得
然《しか》してその鬱屈に方《あた》つてや
四十七人を生ず
乃《すなは》ち知る、人亡ぶと雖も
この霊|未《いま》だ嘗《かつ》てほろびず……
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 我もまた詩中の人となって、声涙共に下るの慨を生じ来《きた》るの時、廊下にドヤドヤと人の足音。
 その吟声がやむと暫くあって、南条の影法師と向い合って、新たに幾頭の影法師。
「南条君、いま戻った」
「やあ諸君」
 忽《たちま》ちに主客の影法師が寛《くつろ》いで、室内が遽《にわ》かにあわただしい気分になる。
 そこで、おたがいの舌頭から火花が散るように、壮快な話題が湧き上る。
 察するところ、南条を的《まと》にして数名の壮士が、いま旅から帰ったばかりで、やにわにここへ押しかけて来たものと見える。
 筑波、日光、今市――大平山等の地名が交々《こもごも》その話題の間にはさまれるところを以て見れば、この連中は常野《じょうや》の間《かん》を横行して戻って来たものと思われる。
 しかし、ある時は、その話題がとうてい間を隔てては聞き取れないほどの低声になって続くことがある。そうかと思えば忽ちに崩れて、快哉《かいさい》を叫ぶようなこともある。
 そうして一通り、重要の復命か、相談かが済んだと思われる時分に、
「日光街道で、変な奴に逢ったよ」
 これは余談として、一座の中の五十嵐甲子雄が発言であります。
「誰に?」
 南条力が受取ると、
「あの、ならず者のがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵」
「ははあ、あいつに日光街道で……」
「何か知らんが日光街道を、血眼《ちまなこ》で飛んで歩いていたから、呼び留めて聞くと、奴なんともいえないイヤな苦笑いをして、お帰りになったら南条先生に、先生そ
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