宇治山田の米友が、群集を見下ろしてこう言いました。
「おいらは宇治山田の米友といって、生れは伊勢の国の拝田村の者だが、わけがあって江戸へ出て来たには出て来たが、江戸に来ても根っから詰まらねえや、時候のせいかこのごろは、気がいらいらしてたまらねえ、右を向いても、左を向いても、癪《しゃく》にさわる世の中だ、いったい、おいらのような人間は、見るもの、聞くものが癪にさわるように出来てるんだと、このごろつくづくそう思った、だから、死んでしまった方がいいんだろう、命なんぞは惜しかあねえや、この世の中に未練なんぞはありゃしねえんだ、おいらは気が短けえから、いやになると自分の命までがいやになってたまらねえ、親兄弟があるわけじゃなし、女房子供があるわけでもねえから、どうでもなる命だ、命のもてあましだ、そうかと言って、川へ飛んだり、首を縊《くく》ったりするのも気が利《き》かねえからな、ちょうどいいところだ、あの建具屋の若いのに身代りになってやろうと思って、こんな悪戯《いたずら》をやり出したんだ、どうだい、あの若いのにはおかみさんもあれば、子供もあるという話だから、おいらは今いう通り、そんな厄介者は一人もね
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