に現われました。米友は癪《しゃく》にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。
 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によって両国橋を渡りかけました。そこで米友が思うには、これを打捨《うっちゃ》るにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のお像《すがた》である。芥溜《ごみため》の中へ打捨るわけにはゆかない。さりとて、道の真中へ抛《ほう》り出してもおけない。また米友には、屑屋に売り飛ばすというほどの知恵も浮ばない。売り飛ばしてそれを己《おの》れの巾着銭《きんちゃくぜに》にしようというような知恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、祀《まつ》りあがめる人が出て来れば米友は一議に及ばず、その画像を譲り渡したものであろうと思われるが、不幸にしてその人を得ることができない。せっかく、不動尊を担ぎ出して来たものの、実際、米友はこれをどう扱っていいかということに迷いきっているのです。この点においては、曾《か
前へ 次へ
全187ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング