が小兵《こひょう》の法師ですから、弁信が笈を負うのではなく、笈が弁信を背負って馬に乗っているように見えます。
それと見て集まった人々は、今日の馬上の有様の変ったのに驚き、また前にいるべきはずの茂太郎のいないことを怪しみもしました。それにも拘らず、盲法師の弁信は自ら手綱をかいくって、徐々《しずしず》と馬を進めながら、今日は馬上で得意のお喋りをはじめます。
「皆さん、老少不定《ろうしょうふじょう》と申して、悲しいことでございます、長らく皆様の御贔屓《ごひいき》になっておりました茂太郎が死にました……お驚きなさるのも御尤《ごもっと》もでございます、皆様がお驚きなさるより先に、私が驚きました、無常の風は朝《あした》にも吹き夕《ゆうべ》にも吹くとは申しながら、なんとこれはあんまり情けないことではござりませぬか、昨日までは皆様と一緒に、ああして歌をうたい、踊りを見ておりました茂太郎が、僅か一日病んで、眠るが如くこの世の息を引取りましたと申しますのは、ほんとに私ながら夢のようでございます、これと申しても、みな前世の因縁ずくでございますから、誰を怨《うら》み、何を悲しもうようもございませぬ、それで、私は友達の誼《よし》みに、せめてあの子の後生追善《ごしょうついぜん》を営みたいと思いまして、今夕《こんせき》こうやって出て参りました、私の背中をごらん下さいまし、この大きな笈の中に、この世の息を引取った清澄の茂太郎が、眠るが如くに往生を致しておりますのでございます、私は、これを持って江戸の菩提寺《ぼだいじ》へ安らかに葬ってやりたいと思いまして、そうしてこうやって出かけたのでございます」
五
小金ケ原の珍《ちん》な現象が、江戸の市中までも評判になると、そこに謡言《ようげん》がある。曰《いわ》く、近いうちに江戸の町という町が火になる、その時は江戸の町民は悉《ことごと》く住むところを失うて、一時、小金ケ原へ仮りの都を作らねばならぬ。その時に最も幸福に救われたいものは、今のうち小金ケ原の新しい神様を信心しておくがよろしいと、それはずいぶんばかばかしい謡言であります。多少、心ある者は、一笑に附して顧みざるべきほどの無稽《むけい》の言葉であるにかかわらず、それを信ずるものが少なくなかったということは、今も昔も変ることがありません。踊りに行くものよりは信心に行く者が多くなって
前へ
次へ
全94ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング