て、煙草盆をつるし上げ、鼻の先まで持って来ました。
そこで話が少し途切れているところへ、廊下を渡って来る人の足音がありました。南条の居間の前で、その足音が止まると、
「南条殿、おいででござりますか」
障子を颯《さっ》と押開いたものです。
「あ……」
それで南条も、ややあわてました。障子を押開いた人も面食って、入りもやらず、さりとて立去りもならず、
「お客来《きゃくらい》でしたか、失礼」
その人はぜひなく障子を締め直して立去ろうとしたが、そのお客と面《かお》を見合せないわけにはゆきません。
「おお……」
その声と共に障子をたてきって、さながら、見るべからざるものを見たように、あわただしくその場を辞して行きました。ここに来合せたのは不幸にして宇津木兵馬であります。山崎譲は南条に向って、
「南条殿、今のは貴殿のお知合いか」
「うむ、知っている」
この時の南条の返答ぶりを聞いて山崎は、
「南条君、君、少年をそそのかしちゃいけないぜ」
こう言って、頗《すこぶ》る冷淡に構えました。
「そりゃどういう意味じゃ」
南条もそらとぼけているようです。山崎は莞爾《にっこり》と笑いました。
「いったい、九州の人間は、婦人よりも少年を愛する癖がある、君もまた九州人だろう」
「以ての外、拙者が九州人でない証拠は、拙者の音《おん》を聞いたらわかるだろう、婦人や少年のことは与《あずか》り知らんことじゃ」
「ははあ」
山崎は、なおひとしお思案の体《てい》で、南条の弁解をうっかりと聞き流していたが、また煙草盆を鼻の先へつるし上げて、煙草の火をつけました。屈《こご》んで煙草盆の火をつけないで、火をつけるたびに煙草盆の方を鼻の先までつるし上げるのがこの男の癖と見えます。
南条が何かしら躍起の体《てい》に見えるのに、山崎はかえって冷淡に落着いて、煙草を一ぷく吹かしてから、
「それはどうでもよろしいことだが、南条殿、今のあの少年は、ちょっとみどころのありそうな少年でござるな」
「山崎君、みどころがあるかないか、君には一見して、そんなことがわかるのか」
「わかる」
と言いながら山崎譲は吹殻をハタくと、またしても煙草盆を持って鼻の先へつるし上げました。
南条力は横の方を向いて、壁にかけた山水画をながめながめ、しきりに頬ひげを撫でている。山崎は煙草吸いだが、南条は煙草をのまない。
「というのは
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