は、女の人がお高祖頭巾《こそずきん》で覆面をしているのに、男の方は素面《すめん》です。お高祖頭巾の女の面《かお》つきはわからないけれども、素面でいる男の方は、一目見てもそれとわかる宇治山田の米友に紛れもありません。
米友はあの通り背が低いのに、お高祖頭巾の女は人並よりこころもち高いくらいですから、この相合傘はあまり釣合いが取れません。第一、宇治山田の米友というのが相合傘の柄ではありません。お高祖頭巾の女がその番傘をかざして、米友は気の毒そうに例の杖をついて、その傘の下に歩いて来ましたが、柳橋を渡りかかると、怪訝《けげん》な目をして橋の上をながめます。それから神田川の水の流れを、何か思案ありげにながめて渡ります。
「ね、あの晩、この橋の上に立っていた人は、わたしはたしかに見たことのある人のように思いました」
お高祖頭巾が米友に向ってこう言いました。このお高祖頭巾の女というのが、藤原のお銀様であることは申すまでもありません。お銀様がそう言ったから米友は頷《うなず》いて、
「そう言われると、おいらもなんだか見たことのある人のような心持がするんだ」
米友も、以前、舟を漕いで来たあたりを見下ろして返事をしました。この不釣合いな相合傘が、橋の半ばへ進んで来た時に、
「御免なさい」
橋の欄干に立ちもやって押問答していた一方の相合傘とすれ違いになって、傘と傘とが軋《きし》り合いましたから、どちらでも御免なさいと言いました。
御免なさいと言いながら、傘を傾けておたがいに面《おもて》を見合わすと、
「おや、お前は米友じゃない? 友さんじゃないか」
と言ったのはお角の声であります。そう言われて米友はギョッとしました。前にも言う通り、この女軽業の親方お角だけが、宇治山田の米友にとっては唯一の苦手であります。かなり大胆不敵の米友も、お角に一言いわれると身がすく[#「すく」に傍点]むようになるのは、前世の宿縁というものか知らん。
「あッ」
と言って、さすがの米友が舌を捲いて、面《かお》の色を変えてたちどまりました。
「まあ、久しぶりじゃないか、米友さん、お前はこのごろどこにいるの」
舌を捲いている米友をお角が発見したのは、おそらく甲斐の国|石和《いさわ》の袖切坂以来のことでありましょう。あの時にお角は、米友を発見して、転んではならない袖切坂の途中で転びました。
その時にお角は、鼻緒の切れた下駄を藪《やぶ》の中へ抛《ほう》り込んで、さも口惜《くや》しそうに、「友さん、わたしがここで転んだことを、誰にも言っちゃいけないよ」と念を押しました。その時に米友は、「うむ」と固く承知すると、お角はなお、「言うと承知しないよ」と馬鹿念《ばかねん》を押しました。そこで米友は再び、「うむ」と力を入れて返事をすると、お角は、「けれども、お前はキット言うよ、お前の口から、このことがばれるにきまっているよ、もしそういうことがあった時は、わたしはお前をただは置かない……ただは置かないと言っても、わたしよりお前の方が強いんだから、してみると、わたしはいつかお前の手にかかって殺される時があるんだろう、どうもそう思われてならない」その意味がわからないから米友は、「何、何を言ってるんだ」と眼を円くすると、「転んだところを見た人と見られた人が、もし間違っても男と女であった時は、どっちかその片一方が、片一方の命をとるんですとさ」
お角がこんなことを言って自暴《やけ》のような気味であったことを米友は、もう忘れてしまっているに相違ない。しかし、お角の方では、多分それを思い出しているに相違ない。
ここでめぐり会った米友をおかしいと思うと共に、それと相合傘をしていたお高祖頭巾《こそずきん》の女の人を、お角は不審に思わないわけにはゆきません。ところが、お高祖頭巾の女の方では、さいぜんから、ちゃんと心得たもので、頭巾の中からお角の面を見据えるようにしていましたので、お角もなんだか気味が悪く思いました。
「おや、あなたは……」
今度はたしかにお角の方がギョッとしました。お角に呼び留められた米友は、てんで気を呑まれてしまったが、この覆面の女に見据えられたお角は、物怪《もののけ》につかれたように立ち竦《すく》んだのは稀れに見る光景であります。
米友にとってはお角が苦手であるように、お角にとってはお銀様が苦手であります。米友は、お角から言葉をかけられても頓《とみ》には返事ができません。お角は、お銀様に正面から見据えられて、しどろもどろです。
この三スクミの体《てい》を傍から見ていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、委細を知らないから、なんとも口出しがならず、川の流れを横目に見ていました。
「お角さん、お前さんはどこへ行くの」
と言ったのはお銀様であります。
「はい、そこまで、ちょっと用足しに……」
お角としては怪しいほど神妙に返事をしました。
「お連れがおありなさるの」
「いいえ……」
と言ったけれども、それは甚だまずい言抜けに過ぎません。
「もし、御用がないのなら済みませんが、そこまで、わたしと一緒に来て下さいませんか」
お銀様からこう言われたのが、この場合、お角にとっては勿怪《もっけ》の幸いであったらしく、
「はい、お伴《とも》を致しましょう」
と言ってしまいました。それで納まらないがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が向き直るとお角は、それにカブせるように、
「百蔵さん、このお方は、もと、わたしのお世話になった御主人様のお嬢様ですから、わたしはちょっと御一緒に行って参ります、それで今晩はあそこへ行くのはやめましょう、直ぐに帰りますから、両国へ行って待っていて下さい。友さん、お前も両国へおいで」
そこで相合傘が、また二つにわかれました。
お角のさして来た蛇の目の傘には、お銀様が入り、お銀様のさしていた番傘を米友に渡すと、米友は、それを受取って不承不承に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の上へ差しかけます。
蛇の目の傘は両女を容れたまま、もと来た方へ動き出したから、こうなってみるとがんりき[#「がんりき」に傍点]も、それを追蒐《おいか》けて袂を引くのもみっともないとあきらめたのか、だまって見送っているだけでした。
「や、こりゃ、どうも兄さん有難う」
ようやくのことで、番傘を差しかけてくれている米友の好意に気がついてみると、がんりき[#「がんりき」に傍点]も動き出さなければなりません。動き出したところで今度は蛇の目の傘ではなく、番傘で、そうして相合傘の主も、得体《えたい》の知れぬ河童《かっぱ》のような男だから、多少うんざりしないわけにはゆかない。しかしながら、がんりき[#「がんりき」に傍点]はさすがに如才《じょさい》ないところがあるから、金助のように見てくれだけで頭ごなしに米友を侮辱するようなことはありません。
「兄さん、お前さんは、どっちへおいでなさるんだね。わたしゃ、そこいらで、ちょっと一杯やりたいんだが、なんなら附合っておくんなさいな」
と優しく米友を誘いました。
「おいらは、そうしてもいられねえんだ、一杯やるんならおめえひとりでやんねえ、傘はおめえに貸してやらあ」
こう言って米友に番傘を差しつけられたから、さすがのがんりき[#「がんりき」に傍点]も苦笑いをしないわけにはゆきません。せっかくの相合傘の相手が振替えられた上に、その振替えられた相手から刎《は》ねられる始末だから、いやはや、色男も台なしという体《てい》でありました。そうして詮方《せんかた》なく苦笑いをしながら、
「それでも兄さん、わたしが傘を借りてしまったら、お前さんは濡れるんだろう」
「おいらなんぞは濡れたっていいやな、土団子《つちだんご》じゃあるめえし」
米友がこう言いました。米友が土団子じゃあるめえしと言ったのは、洒落《しゃれ》でも警句でもないだけに、おかしいところがあります。どちらかと言えば米友は、土団子のような人間でありますから、がんりき[#「がんりき」に傍点]もおかしく思いながら、
「土団子でねえにしても、お前さんを濡らしちゃ気の毒だ。それじゃあ、わたしはそこいらで一杯やることにしますからね、兄さん、御苦労だが、そこまで送ってやっておくんなさいな。ナニ、どっちでもかまわねえんだ、あいつらが両国の方へ行ったから、同じ方へ行くのも癪《しゃく》だ、代地《だいち》の方へ行きましょうよ」
こう言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]が、橋の上を歩き出そうとすると、
「遠慮をしなくってもいいやな、傘は貸して上げるから、一人で勝手なところへ行きな、おいらは送って行くのは嫌だよ」
「だって、兄さん、濡れたって詰らねえじゃねえか」
「いいよ、おいらは濡れたってかまわねえんだ、ズブ濡れになった方が、気持がいいくらいなものだ」
「自暴《やけ》なことを言いっこなし」
「自暴なんぞを言やしねえ」
「そんなことを言わずに、おとなしく相合傘という寸法で行こうじゃねえか。一人で差したる傘なれば、片袖濡れようはずがない、なんぞは乙なもんだが、フラれて、自暴で、ズブ濡れなんぞは気が利かねえ、兄さん、相合傘とやりましょうよ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は強《し》いて米友を、相合傘に捲き込もうとするけれども、米友は頑として聞かない。ぐずぐずしていると傘を抛りつけて行ってしまいそうですから、相合傘の押売りなんぞは気の利かないことこの上なしだと、がんりき[#「がんりき」に傍点]も呆《あき》れ返ってもてあましている途端に、フイと気のついたことがありました。
「おい、兄さん、ちょっと待ってくれ」
米友を呼び留めたけれども、米友は矢も楯も堪らなくなっていました。開いたなりの傘をそこへ抛り出して、勝手にしやがれという態度で、跛足《びっこ》の足を引きずって、雨の中をさっさと駈け出してしまいます。
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、いよいよテレたもので、苦笑いが止まらず、ぜひに及ばない面《かお》をして、橋の上でグルグル廻っている番傘を片手で取押えて肩にかけ、米友の走り去った方面を見送っていましたが、やがて、あきらめて、橋を渡って代地あたりの闇に消えてしまいました。この時分のこと、例の船宿の二階で、書きものをしながら、お角の来るのを待っていた駒井甚三郎は、約束の時間に至ってもお角の姿が見えないから、なお暫く待っていたけれども、音沙汰がありません。そこで、書きものを始末をして立ち上ると、緞子《どんす》の馬乗袴《うまのりばかま》を穿き、筒袖の羅紗《らしゃ》の羽織を引っかけ、大小を引寄せて、壁にかけてあった大塗笠《おおぬりがさ》を取卸しました。これからいずれへか出かけて行くものと見えます。出かける前に、お角に会っておきたい用件があるのでしょう、もしやと再び机の前に坐り、火鉢の上に手をかざして、更に消息を待っているもののようでしたが、お角の姿は見えないし、ことわりの使もやって来ないから、もうあきらめたものと見えて、大小を取って手挟《たばさ》みました。駒井甚三郎は、近々《ちかぢか》に房州へ帰らなければならぬ。このほど江戸へ上って来たのは、洲崎《すのさき》の海岸で船を造らんがために、その費用と、材料と、大工とを求めんがために、来たものであることは申すまでもありません。お角も茂太郎も、それと一緒には遣《や》って来たものの、駒井にとっては、それは偶然の道連れに過ぎないが、お角や茂太郎にとっては、駒井甚三郎は再生の恩人であります。駒井の役に立つことならば、何を置いてもつとめなければならないし、もし甚三郎が急に立つものとすれば、やはり何を置いても見送らなければならぬはずです。
十
机竜之助は、あの晩から再び弥勒寺《みろくじ》の長屋へは帰りませんでした。染井の化物屋敷へも姿を見せた形跡はありません。練塀小路《ねりべいこうじ》の湯屋を出たのはたしかに、その人であったに相違ないけれど、早駕籠《はやかご》の行先はわかりません。
けれども、天にかくれようはずもなし、地にくぐろう術《すべ》もないから、日ならずどこかへ
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