れともう一人は、飛沢甚内――これも同じく剣術、柔術、早業に一流を極め、幅十間の荒沢《あらさわ》を飛び越えること鳥獣よりも身軽であったところから、自ら飛沢と名乗った。これが捉まった時に、大久保彦左衛門の命乞いによって死罪を許され、身持ちを改め、苗字を富沢とかえ、横目の御用を蒙《こうむ》り、古着屋商売をして無事に天命を終えた。その住宅附近が後に富沢町となった。
かくて高坂甚内は、箱根山に籠《こも》って悪事を働いていたが、詮議が厳しく、箱根山の住居もなり難く、そこを立退いて諸国を徘徊《はいかい》していたが、やがて再び江戸に舞い戻ると赤坂に住居を構え、例によって辻斬、強盗のほかには、表面は剣術を人に教え、内実は無頼の徒を集めて博奕《ばくえき》を業としていた。悪行いよいよ募って、そのころ牛込御門内に住居していた先手役《さきてやく》青山主膳(千五百石)の組与力同心《くみよりきどうしん》が召捕りに向ったところ、同心二人まで深傷《ふかで》を負い、与力も辛《から》き目に遭ってほうほうの体《てい》で逃げかえった。それを聞いて歯噛みをした主膳は、自ら召捕りに向わんとしたけれども、叛逆謀叛人でない限りは奉行
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