御書院番の小出兵庫《こいでひょうご》(二千百石)という旗本の屋敷の中に、二人が今いう甚内様の社があるのです。
神に祀《まつ》られるほどの甚内様とは何人ぞ。それは英雄にもあらず、また義人にもあらず、一箇の盗賊に過ぎないのであります。姓を高坂《こうさか》といって、名は甚内。父は甲陽の軍師高坂弾正であるということです。
「天晴《あっぱ》れ手練のこの槍先、受けてはたまらぬ大切《だいじ》の幼な児……」という二十四孝の舞台面は、かなりに高坂弾正の器量を上げるように書いてあります。そのはじめ、容貌を以て信玄に愛せられたところを以て見れば、また非常な美男子であって、その後、「保科《ほしな》弾正|槍弾正《やりだんじょう》、高坂弾正|逃弾正《にげだんじょう》」を以てあえて争わなかったところは、沈勇にして謀《はかりごと》を好む人傑の面影を見ることもできます。武田信玄の股肱《ここう》として、一二を争う智将であったことは疑うべくもない。
その高坂弾正に一人の遺子《わすれがたみ》がありました。幼名を甚太郎といい、後に甚内と改めたその人がすなわち、鳥越の永護霊神として、半ば実在の人となり、半ば荒誕《こうたん》の
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