「がんりき」に傍点]からこの動議を提出されると、七兵衛は苦笑いをしながら、
「そいつは面白かろう、手前《てめえ》を相手に腕くらべも大人げねえ話だが、甚内様へ奉納というのは、いいところへ気がついた」
 そこで七兵衛も納得《なっとく》したらしい。高尾山から江戸までは、この連中にとっては、ほんの一足であるが、その一足の間に、伯耆の安綱の刀を的《まと》にして、二人が腕くらべをやってみようというようないたずらは、今に始まったことではないが、さいぜんから二人の口に上る甚内様というのは何物か。それは今までに見えなかった人の名であるに拘らず、この碌《ろく》でもない二人ともが、甚内様なるものには相当の敬意を払っていることがわかります。山の上では、甚内様、永護霊神様といい、ここでは鳥越の甚内様と言いました。もし、二人のうちのいずれにもこの伯耆の安綱の刀が落ちなかった場合には、それを鳥越の甚内様へ持って行って納めるということには、二人とも異議がないのであります。よってここに、鳥越の甚内様なるもののいわれ[#「いわれ」に傍点]を一通り、説明しなければならぬ。

         八

 浅草の鳥越橋の西南に、
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