飲みッぷりは初心《うぶ》なものではないはずだから、何か特別に嬉しいことがあっての上でなければなりません。
先生が唯一の好敵手であった鰡八大尽《ぼらはちだいじん》は、あの勢いで洋行してしまったし、それがために、隣の鰡八御殿は急にひっそりして、道庵の貧乏屋敷に一陽来復の春が来たのはおめでたいが、単にそれだけの嬉しまぎれに、ほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩くものとも思われません。
さりとて、また今時分になって柳橋あたりへ、飲み直しに行こうとするものとも思われない。第六天の神主の鏑木甲斐《かぶらぎかい》という人が、かなり飲《い》ける方で、道庵とも話が合うのだから、これから興に乗じて、その人を嗾《そそのか》そうという企らみのように解釈するのも、余りに穿《うが》ち過ぎているようです。
これは先生のために、極めて真面目に解釈して、先生が深夜、急病人からの迎えを受けて、切棒の駕籠《かご》にも乗らず、お供の国公をも召連れず、薬箱も取り敢《あ》えずに駈けつけて、下地《したじ》のあるところへ病家先の好意で注足《つぎた》しをし、その勢いに乗じて、長者町へ帰るべきものを、どう間違ったか柳橋方面へうろつき
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