いろのお稽古を立聞きを致して覚えさせていただいたものがございますから、そのうちで物になっているのを一つ、お相手を致してみたいものでございます」
 誰もいないのに弁信は、こんなことを言いながら、暗澹《あんたん》たる土蔵の中の隅っこで、しきりに鑿《のみ》を揮《ふる》っておりました。
 その翌日から、この土蔵の中で、思いがけない合奏の音が聞えました。
 その合奏も、世の常のお行儀のよい合奏ではありません。机竜之助はあちらを向いて短笛《たんてき》を弄《もてあそ》ぶと、それと六枚折りの屏風一重を隔てたこちらで、お銀様が箏《そう》の琴を調べます。そうすると二階の下の暗澹たるところから、盲法師の弁信が三味線の音をさせるのです。三人とも、離れ離れにいて、それぞれ勝手の形を取り、勝手の曲を奏《かな》ではじめた時が、合奏のはじまる時であります。始まる時に何等の合図もなく、三曲のうちの何れかの一方が音締《ねじ》めをすると、期せずして他の二人が、それぞれの楽器を取り上げるのであります。
「千鳥の曲」を吹きはじめた時は、竜之助はなんとも言われない心持になりました。
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しおの山
さしでの磯に
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