の大切の一枚看板を外されては、明日からの人気にさわる。人気よりも、損得よりも、出し抜かれたことがお角としては口惜《くや》しい。ことに相手が女であるとのこと、しかるべき切髪の、まだ水々しい女であったということが癪にさわってたまらない。その女は若党らしい男をお伴《とも》にしていて、茂太郎を連れ出して、船で柳橋の方へ乗り出したということです。負けない気性のお角を、それと知ってしたことか、知らずにした悪戯《いたずら》か、こればかりは容赦ができないと、お角は歯噛みをして口惜しがりました。
 朝になると、染井のお屋敷から参りましたという使の者が、
「へえ、御免下さいまし、染井のお屋敷から、こちらの太夫元へお言伝《ことづけ》がありました、というのはほかじゃございません、こちらの小屋に出ておいでなさる茂太郎さんというのが、どうしたものやら、昨晩、迷児《まよいご》になって、染井のお屋敷のお絹様をたよっておいでになったそうでございます、お絹様も、不憫《ふびん》に思召して、昨晩はあれへお泊め申して、よくよく事情をお聞き申してみまするていと、両国の女軽業《おんなかるわざ》の一座に出ておいでなさるということです
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