た時は、その率直な一種の真実味が彼を慰めてくれました。それでも堪えきれない時に、一刀を帯びて人を斬りに出かける。
夜半に夢が破れた時には、その破れ目の傷口から、あらゆる過去が流れ出すのです。
与八に抱かれて行ったその子供が、雲に乗って天上へ舞いのぼると、その雲が火になって燃え出すのは、堪え難い執念です。
今までの過去という過去が残りなく、そこへ並べられる最後に、その中へ現われるのは、いつも我が子の郁太郎の面影《おもかげ》でありました。我が子の面影のみは払おうとして払うことができません。消そうとしても消すことができません。まさに親の因果が子に報うべき現世の地獄を、眼《ま》のあたりに見せらるることが苦しくないではない。幾度か、故郷へ帰って、その見えぬ眼に、わが子を抱いてのち死にたいと思い立ったけれども、今となっては、もうそんな心持はないらしい。
四隣《あたり》、人定まった時に、過去のことと人とを思い出すことが彼にとっては、ひたひたと四方から鉄壁で押えつけられるように苦しい。枕許の水差を引寄せて、水をグッと一口呑んだ時に、つい隣の部屋で、思いがけなく短笛《たんてき》の音が起りました。
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