いてはいるけれども呼吸がせわしくて、その用向は、たしかに物好きや冗談ではなく、真剣の有様が眼に見えるのであります。それですから米友も一概に、それを憤《おこ》り散らすわけにはゆかないで、
「いったい、お前は何しに来たんだ、おいらに何を尋ねようと思って来たんだ」
「さあ、お前さんに尋ねたいのは、あの目の見えない人のこと。あの人を、お前さんはどこへ連れて行きました、それを教えて下さい、お前さんは、きっとそれを知っているに違いない」
「ナニ、目の見えない人?」
米友は眼を円くしました。
「そう、吉原からお医者さんの駕籠《かご》に乗せて、お前さんがその駕籠に附添ってどこへか行ってしまったということを、わたしはちゃんとつきとめました」
「ふーん」
米友は、そう言って、女の面《かお》を見ようとしたが、女はやっぱり面を見せません。
「さあ、言って下さい、お前さんが、もしお金が欲しいなら、わたしの実家《うち》へ行って、いくらでもお金を上げるから、あの人の居所を教えて下さい」
女は、始終ジリジリと米友に詰め寄るかのような勢いでありました。
「うむ――おいらの知っていることで、教えて上げてもいいことなら、銭《ぜに》を貰わなくったって教えて上げらあな。もし、教えて悪いことだったら、銭を山ほど積んだって教えちゃやれねえな。知らなくっても手伝いをして探してやりてえこともあるし、知っていても知らねえと言って隠さなけりゃならねえこともあるだろう……だから、お前はいったい誰だ、どういう因縁《いんねん》で、おいらにそんなことを尋ねるのだか、一通りそれを話してくんな。それもそうだが、さっきから、おいらの癪《しゃく》にさわるのは、お前さんが頭巾を被りながら挨拶をしていることだ、家の中で人と話をするには、頭巾だけは取ったらよかりそうなものだ」
こう言って米友は、手近な行燈《あんどん》を引き寄せて、意地悪くその女の面へパッと差しつけて、あっと自分が驚きました。
今夜は怖《こわ》い晩である。夢に現われた不動尊は、いまだに米友にはその心が読めない。今ここに現われた現実の人は、言葉こそ優しい女人《にょにん》であれ、その面貌《かおかたち》は言わん方なき奇怪なものである。行燈を引き寄せた米友は再びワナワナと慄《ふる》えました。寧《むし》ろ米友自身の形相《ぎょうそう》が凄じいものになりました。
「おいらはいやだ、お前という人は、やっぱり夢じゃねえのか、女のくせに、たった一人でこの夜中に、どういう由《よし》があって、あの人を尋ねて来たんだ、昼間は訪ねて来られねえのか、そうして話をするに、どうしてその頭巾が取れねえのだ」
こう言って怒鳴りました。
「米友さん」
女は存外、優しい声でありますけれども、米友の耳には、頭巾の外《はず》れから、チラと見た夜叉《やしゃ》のような面《おもて》が眼について、その優しい声が優しく響きません。
「米友さん……お前はお君のことを知っているだろう、わたしの身の上が知りたければ後で、あの子によく聞いてごらん、わたしがこうして頭巾を被っているわけも、あの子がよく知っていますから聞いてごらん、お君は美しい子だけれども、わたしは美しい人ではありませんから……」
「そんなことは、おいらの知ったことじゃねえ、美しかろうと美しくあるめえと、頭巾を被って人に挨拶するのは礼儀じゃねえ」
「ああ、わたしはここへ礼儀を習いに来たのじゃありません、米友さん、わたしは、お前さんに礼儀作法を教えていただくためにここへ来たのじゃありません、ぜひ聞かしてもらわねばならぬことはほかにあります、お前でなければ知った人がないから、それで、わざわざ忍んでこの夜更けに訪ねて来ました、きっとお礼はしますから、御恩に着ますから、後生《ごしょう》ですから教えて下さい。お前の知っているお君は美しい子だから、誰にでも可愛がられます、わたしは、そうはゆきません、わたしを可愛がってくれたのは、あの幸内と、それから目の見えない人が、わたしは好きなのです、目の見える人は、わたしは嫌いです、目の見えない人がわたしは好きで好きでたまりません、米友さん、後生だからその人のところを教えて下さい」
女は物狂わしいようになって、泣き出してしまいました。本《もと》もうら[#「うら」に傍点]も知ることのできない米友は呆気《あっけ》に取られて、得意の啖呵《たんか》を切って突き放すこともできません。それのみならず、この突然な、無躾《ぶしつけ》な来客の、人に迫るような言いぶりのうちに、なんだか、哀れな、いじらしいものがあるような心持に打たれて、米友は憤《おこ》っていいのだか、同情していいのだか、自分ながらわからない心持で、眼を円くしているほかはないのであります。
「おいらには、わからねえ」
米友は無意味にこう言って、首を
前へ
次へ
全56ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング