じゃございませんか」
 米友も小声で言いました。しかし門違いにも門違いでないにしても、弥勒寺《みろくじ》の門を入って人を尋ねるとすれば、ここはその一軒だけです。この深夜に、わざわざここまでとまどいをして入り込む人のあろうとも思われません。
「いいえ」
 外の女はこう言いました。それでよけいに、米友の疑問を増したものと言わなければなりません。盲目《めくら》の剣客と二人して隠れているこの弥勒寺長屋、長屋とは言うけれども近所隣りが無い、まして女の近寄るべきはずのところではありません。しかしながら、おとなう声はまさしく女でありますから、
「誰だい、何の用があって、誰を訪ねて来たんだ」
「はい、友造さんという方がおいでになりますか」
「友造は……」
 おいらだが、と言おうとしたが米友は思案しました。おれを訪ねてこの夜更けに来る女というのは、全く心当りがないことはない。かの間《あい》の山《やま》のお君も、老女の家のお松も、ここに近いところにいるはずだ。昨日、不意にムク犬がここへ姿を見せたことを思うと、或いはそれらの女性のうちの一人が忍んで来たものと思えば思われないことはない。それで、米友はさいぜんから、戸の桟《さん》へ手をかけながらも、外なる女の声を、じっと耳に留めていたのだが、それは、お君の声でもなければ、お松の声でもありません。さりとて鐘撞堂新道にいるお蝶の声とも思われないし、無論、両国にいる女軽業の親方のお角の声とは聞き取れないから、米友は迷っているのです。
「あの、お君のところから聞いて参りました、そうしてムクにそこまで案内してもらいました」
「エ、お君のところで聞いたって!」
 お君と言い、ムク犬と言うことは、米友の信用を高めるのに充分でありましたけれど、しかもお君と呼棄てにするこの女の正体は、更にわからないものであります。しかし、ここまで来た以上は、あけてやらないのも卑怯《ひきょう》であると米友は思いました。どうかするとその筋の目付《めつけ》が女を使用して、人の罪跡を探らせることがある。もしそうだとすれば、自分は本来、さまで暗いところはないのだが、一緒にいる先生は、決して明るい世界の人とは言えない。だから、戸を開く途端に「御用」という声が剣呑《けんのん》ではある。あけてよいものか、悪いものか、それでもまだ米友は、暫し途方に暮れていると、
「あなたがその友造さんじゃありませんか、本当の名は米友さんとおっしゃるのでしょう、内密《ないしょ》のお話があるのですからあけて下さい」
 外では存外、落着いた声でこう言いました。よし、ここまで来れば仕方がない、まかり間違ったら二三人は叩き倒して逃げてやろうと米友は、足場と逃げ路を見つくろっておいて、例の手槍を拾い上げ、片手でガラリと雨戸を押し開きました。
「誰だい」
「わたくしでございます」
「お前さん一人か」
「エエ、一人でございます、御免下さいまし」
 その女は、男のような風をして、お高祖頭巾《こそずきん》をすっぽりと被《かぶ》っておりました。
 いったい、なんにしても人の家へ上るのに、頭巾を取らないで上るというはずはありません。
 女は、このまま失礼と断わったものの、座敷へ通っても、やはり頭巾を取ろうとはしないで、
「お前さんが、米友さん?」
 こう言って、かなり鷹揚《おうよう》な態度でありました。
「そうだよ」
 米友は、極めて無愛想に返事をしました。
「お前さんの噂は、お君から聞いておりました」
 お君、お君、と自分の家来でも呼び棄てるように言うのが心外でした。それよりもお君の友達だから、やはり自分も家来筋か何かのように話しかけるのが、米友には心外でした。
「ふん、それがどうしたんだ」
「お前さんは怒りっぽい人だということを聞きました、それでも大へん正直な人だということを聞きました」
「大きなお世話だ」
 米友はムッとして口を尖《とが》らしたけれど、女はそれを取合わずに、
「ですから、わたしは、お前さんに尋ねたらわかるだろうと思って来ました、お前さんが知らないはずはないと思って、わざわざこうして尋ねて来ました、ぜひ、わたしに教えて下さい、わたしに隠してはいけません、お前さんがここにいることを突き留めるまでずいぶん骨を折りました、本当のことを言って下さいな」
 こう言って、ジリジリと米友に迫るもののようであります。米友は呆《あき》れて、じっとその女の面《かお》を見ようとしました。けれども、いま言う通り面は頭巾で隠してあるのに、わざとその顔を行燈の火影から反《そむ》けようとするのが、どうも面《おもて》を見知られたくないという人のようであります。そうして突然とは言いながら、こうして夜更けに一人でここへ押しかけて来たことは、よほどの突き詰めたものがなければならないような権幕も見られます。落着
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