緒の切れた下駄を藪《やぶ》の中へ抛《ほう》り込んで、さも口惜《くや》しそうに、「友さん、わたしがここで転んだことを、誰にも言っちゃいけないよ」と念を押しました。その時に米友は、「うむ」と固く承知すると、お角はなお、「言うと承知しないよ」と馬鹿念《ばかねん》を押しました。そこで米友は再び、「うむ」と力を入れて返事をすると、お角は、「けれども、お前はキット言うよ、お前の口から、このことがばれるにきまっているよ、もしそういうことがあった時は、わたしはお前をただは置かない……ただは置かないと言っても、わたしよりお前の方が強いんだから、してみると、わたしはいつかお前の手にかかって殺される時があるんだろう、どうもそう思われてならない」その意味がわからないから米友は、「何、何を言ってるんだ」と眼を円くすると、「転んだところを見た人と見られた人が、もし間違っても男と女であった時は、どっちかその片一方が、片一方の命をとるんですとさ」
お角がこんなことを言って自暴《やけ》のような気味であったことを米友は、もう忘れてしまっているに相違ない。しかし、お角の方では、多分それを思い出しているに相違ない。
ここでめぐり会った米友をおかしいと思うと共に、それと相合傘をしていたお高祖頭巾《こそずきん》の女の人を、お角は不審に思わないわけにはゆきません。ところが、お高祖頭巾の女の方では、さいぜんから、ちゃんと心得たもので、頭巾の中からお角の面を見据えるようにしていましたので、お角もなんだか気味が悪く思いました。
「おや、あなたは……」
今度はたしかにお角の方がギョッとしました。お角に呼び留められた米友は、てんで気を呑まれてしまったが、この覆面の女に見据えられたお角は、物怪《もののけ》につかれたように立ち竦《すく》んだのは稀れに見る光景であります。
米友にとってはお角が苦手であるように、お角にとってはお銀様が苦手であります。米友は、お角から言葉をかけられても頓《とみ》には返事ができません。お角は、お銀様に正面から見据えられて、しどろもどろです。
この三スクミの体《てい》を傍から見ていたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、委細を知らないから、なんとも口出しがならず、川の流れを横目に見ていました。
「お角さん、お前さんはどこへ行くの」
と言ったのはお銀様であります。
「はい、そこまで、ちょっ
前へ
次へ
全111ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング