いらっしゃるし、それに西洋の方の学問まで、ちゃあんと呑込んでおいでなすって、それを知っているともいう面をなさらないところが、お見上げ申したもんだ。いつぞやはまた上野の山下で、持余《もてあま》し者《もの》の茶袋を、ちょいと指先をつまんで締め上げて、ギュウと参らせてしまったところなんぞは、どのくらい柔術《やわら》の方に達しておいでなさるんだか底が知れねえ。昨晩は昨晩で、また命知らずの浪人が何十人というもの、第六天の前から柳橋へかけて斬り結んでいたところへ、先生が通りかかって、一声、言葉をかけると、散々《ちりぢり》バラバラ逃げ去ってしまったということでございますね、どこへ行ってもその評判で持ちきりでございますよ。実際、あの先生は、ああしてふざけ[#「ふざけ」に傍点]ておいでなさるけれど、学問といい、武芸といい、まあ昔で言えば由井正雪といったようなお方だが、世が世だから、ああして酒に隠れてふざけ[#「ふざけ」に傍点]ておいでなさるんだ、町内ではあの先生を大切にしなくっちゃならねえ、あの先生こそ町内の守り神だって、みんなでそう言ってたところですよ」
 まんざら、おひゃらかすとも見えないように真顔《まがお》になって、先生を讃《ほ》め立てたから堪りません。
「そんなでもねえのさ」
 道庵先生は、ニヤリ笑いながら顋《あご》を撫でて、
「まあ、話半分に聞いてもらいましょうよ。よく言ったものさ、藪《やぶ》にもこう[#「こう」に傍点]の者と言ってね、藪は藪なりに、時々功名手柄をするところがおかしいのさ。昨夜なんぞはお前さん、拙者が通り合せなくてごろうじろ、たしかに焼討ちだね。あのなかにはお前、日本で無双の砲術の名人が隠れていたんだぜ、それがお前さん、舶来のカノーネルというやつを引張り出して柳橋の袂《たもと》へ据えつけ、これから向う岸へぶっ放そうというところへ、折よく拙者が通りかかって、憚《はばか》りながら長者町の道庵だ、と名乗りを揚げて、不足であろうが十八文に免じて拙者に任せてもらいたい、こう言って柳橋の真中へ大手をひろげて突立ったものさ、そうすると、やはりなかには相当のわかった奴もあって、よろしい――ほかの人では任せるというわけにはいかねえが、道庵なら任せてもよろしい――」
「先生、もうたくさんです、そのくらいにしておいていただきましょう」
 堪り兼ねたのが両手をかざして、先生の口を抑
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