いるもののようです。
 ワッと崩れた人の声がこの時、また、ひっそりと静まり返ってしまいました。あまりに静まり返ったために、何となく、あたりいっぱいに漂う一道の凄気《せいき》が、ここの一間の行燈《あんどん》の火影《ほかげ》にまで迫って来るようでありました。ほどなく、
「ヤア!」
という気合の声と共に、チャリンと合わせたのは、たしかに霜に冴《さ》ゆる刀の響きでした。駒井甚三郎は、絵図を手に取って首《こうべ》を起して、その物音の方をながめます。ながめたところでそこは壁です。甚三郎はその壁の一方を見つめていると、寅吉は、やはり同じ方面を見つめて、押黙ってしまいました。
「ヤア!」
 二度目に気合の声があったのは、それからやや暫く後のことでした。
「斬合い!」
 寅吉が身の毛をよだ[#「よだ」に傍点]てると、甚三郎は幾分か興味あるものの如く、その物音に耳を澄ましていましたが、やがて、
「面白い、ドチラも辻斬じゃ、辻斬同士が柳橋を中にして斬り合っているのじゃ、命知らずと命知らずが、ぶつ[#「ぶつ」に傍点]かって、あそこで火花を散らしている」
と言いながら微笑しました。
 この時代においては、辻斬ということは、そんなに驚くべきほどのことではありません。深夜に一旦外へ踏み出せば、自分が斬られるか、或いは斬られて倒れているものを発見することは、さして難《かた》いことではありません。
 けれども、船宿の二階に離れていて、霜に冴《さ》ゆる白刃の音を、遠音《とおね》に聞いているというような風流は、ちょっとないことです。本来、船宿の二階というものは、真剣勝負の白刃の響きを聞いているべきところではありません。江戸時代の船宿の二階というものは、もう少し違った風流の壇場《だんじょう》でありました。
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潮来出島《いたこでじま》の十二の橋を
  行きつ戻りつ思案橋
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 昔の船宿の船頭には、潮来節を上手にうたうものがありました。辰巳《たつみ》に遊ぶ通客は、潮来節の上手な船頭を択《えら》んで贔屓《ひいき》にし、引付けの船宿を持たなければ通《つう》を誇ることができませんでした。
 偶然とは言いながら、駒井甚三郎は、ここで軍艦製造の相談をしなければならないのは、駒井その人が無風流なる故ではありません。文化文政の岡場所が衰えても、この時代の柳橋は、それほど江戸っ児の
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