ことを発見しました。
「どうも仕方がない」
と呟《つぶや》いて草鞋《わらじ》の紐を締め直しました。その時に、つい耳もとで、どうどうと水の鳴る音が聞えます。草鞋を結び終って背後を見ると、雲の絶え間に一条の滝がかかっている。さのみ大きな滝とは見えないが、懸崖《けんがい》を直下に落ちて、見上ぐるばかりに真紅《しんく》の色をした楓《もみじ》が生《お》い重なって、その一ひら二ひらが、ちらちらと笠の上に降りかかって来ました。
「あれが蛇滝でございます」
と言う声で気がつくと、そこは小名路《こなじ》の宿でもなければ、小仏の峠道でもありません。中仙道の板橋の宿場|外《はず》れの旅籠屋の、だだっぴろい陰気な座敷の一間で、眼のさめた時に二番鶏がしきりに鳴いていました。
「まだ寝ないのか」
竜之助が驚かされたのは、暗い行燈の下に夜もすがら、まんじりともしなかったらしい女は、思い余って忍び音に泣いているところでありました。
「どうしても眠れません」
何だか知らないが、その声が竜之助の心を嗾《そそ》りました。
「生きている間は眠れまい」
と言ったのは、自分ながら謎《なぞ》のような言葉です。
「本当でございます、わたしは、どうして死んだらよいか、それを昨夜も一晩中考えておりました」
「そして考えついたかな」
「やっぱり人に弄《なぶ》り殺しにされてしまいとうございます」
「なるほど」
寝返りを打つと竜之助は、枕許の刀の下緒《さげお》をずっと引き寄せました。
底本:「大菩薩峠6」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年2月22日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 四」筑摩書房
1976(昭和51)年6月20日初版発行
※「お玉ケ池」「躑躅《つつじ》ケ崎《さき》」「小金ケ原」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2002年10月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったの
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