ど、盲目が提灯を持っては物笑いと思召《おぼしめ》すでございましょうが、何の意味もあるのじゃございません、わたくしどものために提灯をつけて歩くのではございません、彼方《むこう》からいらっしゃる方が、突き当るとお困りなさるだろうと思いまして、これを持って参ります、御新造様がお倉の中からこれを探して、わたくしに持たせて下さいました」
例によって盲法師の弁信は、誰に問われもしないのに、ベラベラとこんなことを喋りました。二人の盲人は、こうして徐々《しずしず》と屋敷を出て行きました。
福村をはじめ御家人崩れの連中は、それを見ながらどうすることもできません。
二人の行こうとする目あては、多分ただいま弁信が名乗った通りであろうけれど、その歩み行く道筋の光景は更にわかりません。武蔵野の尽くるところには、林もあり、森もあり、畑もあり、江戸の郊外が始まろうとするところには、屋敷もあり、人家もあり、火の見の半鐘もあろうというものだが、二人はただ黒暗々《こくあんあん》の闇を歩いて行くだけです。お喋りの弁信も、どうしたものか、あれっきり沈黙してしまいました。
染井から本所へ行こうとするのは、この二人にとってはかなりの夜道です。もし、きながに歩いて行ったら、夜が明けるかも知れません。急いで行ったところでこの二人は、とても近道を取るというわけにはゆきますまい。あぶなければ途中で、駕籠でも雇うまでのことです。
巣鴨の庚申塚《こうしんづか》あたりへ来たと覚しい頃、急に人声が噪《さわ》がしくなりました。庚申塚へ廻るのは、少し廻り道すぎると思われるけれども、化物屋敷の連中は、江戸の市中へ出るのに好んであちらの方を廻りたがります。二人もまた期せずして、そちらへ廻ったけれども、そのあたりは、いつも寥々《りょうりょう》たる広野の心持のするところです。しかるに今宵は、その辺で人声が噪がしい。
こういう時に、弁信法師は何事を措《お》いてもヒタと歩みをとどめて、仔細らしく小首を傾《かし》げて、その物音の因《よ》って起るところを、じっと聞き定めようとするのがその例です。今もまた、その例に洩るることがありません。
「大層、騒がしいようでございますね」
と言ってたちどまりました。その声は往来で起るのではありません。往来を少し引込んだところの原の中で起る、騒々しい声であります。
「喧嘩でも始まったのかな」
と竜之
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