いのだ、と兵馬は強いて自分の心を落着けようとしたけれど、世の中にこのくらいばかばかしい人殺しはないものと思われてなりません。そのばかばかしい人殺しを甘んじてやって来た、自分というものの馬鹿さかげんこそ底が知れない。ああ、どうして我ながらここまで本心を失うたものかと、それを思い来って無念に堪えられないで兵馬は、火のように燃え上る頭を抑えました。
こうして兵馬が燃えさかる頭を抑えている時に、どこからともなく短笛の響が起りました。眼をあげて見ると、いつしか月が東の空に出ています。
人の姿は見えないが、笛を弄《もてあそ》ぶ風流の人は、わざと月の上らないうちに、武蔵野の外を吹きめぐろうとするものらしい。この短笛の音色が兵馬の頭燃《ずねん》に、一陣の涼風を送らないという限りはありません。兵馬には、その人が何の心あって、何の曲を吹いて来るのだかそれはわかりませんが、その音は柔和にして濃《こま》やかな感情を含んでいる。なだらかにして夢幻《むげん》の境を辿《たど》るようである。一転すると悲壮沈痛にして、抑えがたき感慨が籠《こも》る。朦朧《もうろう》として春の宵の如きところから、寥々《りょうりょう》として秋の夜の月のように冴え渡って行く。
余音嫋々《よいんじょうじょう》としてその一曲が吹き終った時に、ようやく人の足音と話の声が聞え出しました。
「下総の、小金ケ原の、一月寺というのへ行ってごらんになると、今でもあの門前に石碑《いしぶみ》が立ってございます、わたくしには読めませんが、読んだ人の話によりますと『骨肉同胞たりと雖《いえど》も、案内人無くして入ることを許さず』と刻んであるそうでございます。一旦、あの寺へ入りました以上は、父母兄弟でも、案内人に許されなければ、面会ができないものとなっているのでございますが、それが昔は『骨肉同胞たりと雖も、山門に入るを許さず』とあったのだそうでございます。つまり、昔のは、父母兄弟でありましょうとも、案内人が有りましょうとも無かりましょうとも、いったん寺へ入ったものには面会を許さないという、宗門《しゅうもん》の掟《おきて》なのでございましたそうです。それを近頃になって白河楽翁《しらかわらくおう》さんというお大名が、それではあんまり酷《ひど》い、というので、案内人無くして入ることを許さず、と改めさせたのだそうでございます。これはどちらがよろしいでし
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