い方の吹くのと、眼の見える方の吹くのとは、私にはよくわかるのでございます。ところが、同じ眼の見えないに致しましても、そのお方の眼の見えないのと、私の見えないのとは性質《たち》が違うんでございますね。わたくしの眼は、全くつぶれてしまった眼でございますが、その方のは、どうかするとあきます、再び眼があくべきはずのものを、あかせて上げることができないのでございます。それですから、わたくしの眼は、全く闇の中へ落ちきった眼でございますけれど、そのお方のは、天にも登らず、闇にも落ちない業《ごう》にからまれた眼でございます。それに、わたくしが、どうしても不思議でたまらないと思いますのは、前に、わたくしはその方と一度、逢ったことがあるんでございます。どうしてそれがわかったかと申しますと、駕籠の中で咳をなすった時に気がつきました。いつぞやの晩、神田の柳原の土手というところを通ります時分に、わたくしは怖いものに出会《でくわ》しました、怖ろしいことをして、人を嬲殺《なぶりごろ》しにしているお方がありました、その方が、つまり今夜、尺八を吹いて、駕籠に揺られてこちらの方へおいでになった方なんでございます。その尺八のうちに、本手の『鈴慕《れいぼ》』というのをお吹きになりましたね。俗曲の『恋慕《れんぼ》』とは違いまして、『鈴慕』と申しますのは、御承知でもございましょうが、普化禅師《ふけぜんじ》の遷化《せんげ》なさる時の鈴の音に合せた秘曲なんでございます、人間界から、天上界に上って行く時の音が、あれなんだそうでございます。わたくしはその方がお吹きになった『鈴慕』を聞きまして、下総小金ケ原の一月寺のことを思い出しました。あれは普化宗の総本山でございます。今はおりますか、どうですか、そこに尺八の名人がその時分おいでになりました、以前、私はその方から『鈴慕』を聞かせていただいたのが忘れられません。その時の心持と、今晩の心持とが同じことでございます、人間界を離れて、天上界にうつる心持というのはこれかも知れません。尺八の音《ね》に引かれて、知らず知らずわたくしはここまでおあとを慕って来て、ついに、お屋敷の中まで紛れ込んでしまいました。そういうわけでございますから、決して怪しいものではございません、どうぞお見のがし下さいまし」
一息に語りつづけてしまった弁信の長物語に、抑えつけていた者も呆《あき》れたらしいが
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