う、今の音は」
「左様……」
 甚三郎は、なお暫く耳を澄ましてから、
「やっぱり、いたずら[#「いたずら」に傍点]者だろう」
と言いました。
「え、いたずら[#「いたずら」に傍点]者とおっしゃるのは?」
「向うの松原に、小さな稲荷《いなり》の社《やしろ》がある、あれの主が三吉狐《さんきちぎつね》というて、つい、近頃までも、その三吉狐がこの界隈《かいわい》に出没して、人に戯れたそうじゃ。ことに美しい男に化けて出ては、若い婦人を悩ますことが好きであったと申すこと。ところが、我々がここへ来てからは、とんとそれらの物共が姿を見せぬ、化かしても化かし甲斐《かい》がないものと狐にまで見限られたか、それとも、彼等には大の禁物な飛道具や、煙硝《えんしょう》の臭いで寄りつかぬものか、絶えて今まで悪戯《いたずら》らしい形跡も見えなかったが、たった今の物音でなるほどと感づいたわい」
 こんなことを言いました。お角はさすがに女だから、それを聞いて、襟元が急に寒くなったように思い、
「そんなに性《しょう》の悪いお稲荷様があるんでございますか」
「全く、性質《たち》のよくない稲荷じゃ。ことにその三吉狐とやらは先祖
前へ 次へ
全206ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング