人の頭とを跳り越えて外へ飛び出しました。
 この時分、甲板へ飛び出すことの危険は、人身御供になることの危険と同じようなものであることはわかっているけれど、この女はそれを危ぶんでいるほどの余裕がなかったものらしくあります。
 若い男を突き飛ばしておいた船頭は、腰に差していた斧を無意識に抜き取って、右の手に引提《ひっさ》げたまま、透かさずお角の後を追蒐《おっか》けました。
 乗合全体は総立ちになる途端に、大揺れに揺れた船が何かに触れて、轟然《ごうぜん》たる音がすると、そのはずみで残らず、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》とぶっ倒されてしまいました。
「わーっ、水、水、水が……」
 そこで名状すべからざる混乱が起って、残らずの人が七顛八倒《しちてんばっとう》です。七顛八倒しながら、かの上り口のところへ押しかけて、前にお角と船頭とがしたように、先を争うて甲板の上へ走り出そうとして、押し合い、へし合い、蹴飛ばされ、踏み倒され、泣き喚《わめ》いて狂い廻ります。船の外は真暗な天地に、囂々《ごうごう》と吼《ほ》ゆる風と波とばかりです。船は木の葉のように弄《もてあそ》ばれて、すでに振
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