おっと、待っておくれ、待っておくれ、人身御供《ひとみごくう》というのはそのことかね、つまり、わたしにその大昔の橘姫の命様とやらの真似をしろとおっしゃるんだね」
「それよりほかには、この難場《なんば》を逃れる道がねえのだから、お前さんにはお気の毒だが、乗合の衆のためだ。ねえ、皆さん、この船頭の言うことが不条理かエ」
「…………」
「ここで人身御供が上らなけりゃあ、みすみす三十何人の乗合が残らず鱶《ふか》の餌食《えじき》になってしまうのだ、それでようござんすかエ」
船頭はこう言って、乗合の者の頭の上をずらりと見渡したけれど、誰あってこれに返答する間もなく、お角は猛《たけ》り立ちました。
「ふざけちゃいけないよ、やい、ふざけやがるない、こんな暴風《しけ》が起ったのは時の災難だよ、なにもわたしが船に乗ったから、それで暴風が起ったんじゃないや。船に女が一人乗り合せたのがどうしたんだい、はじめのうちは船は女の物だの、正座を張れのと、さんざん人を煽《おだ》てておいて、この暴風雨《あらし》になると、みんなわたしにかずけて、人身御供《ひとみごくう》に海へ沈んでくれとはよく出来た。そりゃ昔の橘姫というお
前へ
次へ
全206ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング