暗な天空と、吼《ほ》え立てる風と、逆捲《さかま》く波の間に翻弄《ほんろう》されているのだから、海に慣れた船人、ことに東西南北どちらへ外《そ》れても大方見当のつくべき海路でありながら、さっぱりその見当がつかないのであります。ややあって、
「やい、外へ出ろ、外へ出ろ、只事《ただごと》じゃねえぞ、お姫様の祟《たた》りだ。さあ、帆柱を叩き切るんだ、帆柱を。斧を持って来い、斧を二三挺持って来い。それから、苫《とま》と筵《むしろ》をいくらでもさらって来い、そうして、左っ手の垣根から船縁《ふなべり》をすっかり結《ゆわ》いちまえ、いよいよの最後だ、帆柱を切っちまうんだ」
帆柱の下で躍り上って、咽喉笛《のどぶえ》の裂けるほどに再び叫び立てたのは船頭です。ひとしきり烈しく吹きかけた風が、帆柱を弓のように、たわわに曲げて、船は覆《くつが》えらんばかり左へ傾斜しながら、巴《ともえ》のように廻りはじめました。この声に応じて、
「おーい、おーい」
むくむくと、波風を潜って、一人、二人、三人、四人、船頭の許まで腹這いながら走《は》せつけて来ます。走せつけて来た彼等は船頭の耳へ口をつけ、船頭は手を振り、声を嗄《か
前へ
次へ
全206ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング