ならばほんとうに一大事。
それを思うと、覚えず涙が眼の中にいっぱいになって、幾度も着物を畳み直しているうちに、ふとその袂《たもと》の中から、読み捨てた一封の手紙が、何か物を言うように綻《ほころ》び出しました。
お松は、はっとして、その手紙を手に取り上げて見ると女文字です。ひろげて見ると、嫉《ねた》ましいほどに手ぎわよく書いてあって、文言《もんごん》は読まない先に、その水茎《みずぐき》のあとの艶《なま》めかしさと、ときめく香が、お松の眼をさえくらくらとさせるようでありました。お松は、一種の口惜《くや》しさがこみ上げて、手紙を取る手がワナワナとふるえました。
その時に、廊下で人の足音がします。
「お帰りなさいませ」
そこへ帰って来たのは兵馬であります。お松は慌《あわ》てて、あの艶《なま》めかしい手紙を自分の懐ろへ押入れて、兵馬の前へ丁寧にお辞儀をしながら、そっと涙を隠しました。
「そうしておいて下さい」
「あの、兵馬様、今日はお留守中に、お客様が二人おいでになりました」
「来客が二人、そうしてそれは誰と誰?」
「一人は、いつもの金助さんでございますが、もう一人は、久松町辺の刀屋だと
前へ
次へ
全206ページ中117ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング