いて京都に馳《は》せ上り、一橋慶喜《ひとつばしけいき》に就いて意見を述べようとして、奥州路から上京の途につきました。その途中を支える諸大名の兵と戦いつつ、ついに加賀藩まで行ったけれど、そこで力が尽きて降参し、耕雲斎をはじめ、重《おも》なる者はことごとく加州領内で殺されることになり、藤田小四郎もその時に斬られた一人であります。ともかくもこれらの志士を、北国の雪の中に見殺しの悲惨な運命に逢わせたその責めは、誰に帰《き》すべきものであるか知れないが……その時に行方不明になった若干の軍用金が、ここの問題になる金なのであります。その以前、筑波《つくば》騒動の時、武田伊賀守(耕雲斎)が幕府へ向けて、騒動を鎮めるための軍用金として借受けた三万両の金がありました。その借用証は伊賀守一人の印で受取って、三万両のうちの一万両は小石川の水戸家の蔵へ納めました。けれども、あと二万両の金の行方が誰にもわからないのであります。或る者はすでに筑波騒動以来の軍用に費《つか》ってしまったとも言い、或る者は北国まで上る長の路用に尽きてしまったとも言い、或る者は、まだ他日に備えるために耕雲斎や藤田の手許《てもと》に最後まで
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