このがんりき[#「がんりき」に傍点]の百が男装した松女《まつじょ》のあとを、つけつ廻しつしていた時に、よそながら守護したり、取って押えたりして、お松を救い出したのはこの人であります。百にしてからが、この人の怖るべくして、狎《な》るべからざる人であり、ともかく自分たちには歯の立たない種類の人であることを、充分こなしていなければならないのに、こうして心安げになって、いっぱしの面をしていることが、前後の事情を知ったものには、どうも奇妙に思われてならないはずです。
ところが、このがんりき[#「がんりき」に傍点]先生は一向、そんなことには頓着なく、
「さあ、焼けました、もう一つお上んなさいまし。南条の先生、こいつも焼けていますぜ、五十嵐の先生、もう一ついかがでございます」
と言って、木の枝をうまく渡して、焚火に燻《く》べておいた餅を片手で摘《つま》み上げ、
「碓氷峠の名物、碓氷の貞光の力餅というのがこれなんでございます」
得意げに餅を焼いて、二人にすすめ、
「何しろ源頼光の四天王となるくらいの豪傑ですから、碓氷の貞光という人も、こちとらと違って、子供の時分から親孝行だったてことでございますよ。親孝行で、そうして餅が好きだったと言いますがね、親孝行で餅が好きだからようございますよ、間違って酒が好きであってごろうじろ、トテも親孝行は勤まりませんや。どうも酒飲みにはあんまり親孝行はありませんね。俺《わっし》の知ってる野郎にかなりの呑抜《のみぬけ》があって、親不孝の方にかけちゃ、ずいぶん退《ひ》けを取らねえ野郎ですが、或る時、食《くら》い酔って家へ帰ると、つい寝ていた親爺の薬鑵頭《やかんあたま》を蹴飛ばしちまいましてね、あ、こりゃ勿体《もったい》ねえことをしたと言ったもんです、それを親爺が聞いて、まあ倅《せがれ》や、お前も親の頭を蹴って勿体ないと言ってくれるようになったか、それでわしも安心したと嬉しがっていると、野郎が言うことにゃ、おやおや、お爺《とっ》さんの頭か、俺《おり》ゃまた大事の燗徳利《かんどっくり》かと思ったと、そうぬかすんですから、こんなのは、とても親孝行の方には向きませんよ。酒飲みがみんな親不孝と限ったわけじゃございませんが、餅の方が向きがようございます。その碓氷の貞光て人は餅が好きで、自分で搗《つ》いては自分でも食い、お袋様にもすすめてね、自分はその餅を食いながら
前へ
次へ
全103ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング