、それを助けるは男でなくて女です。
「というても、そなたは江戸へ帰らねばならぬ人」
 甚三郎に言われた時、
「いいえ、もう帰らなくってもよろしうございますよ」
 お角は、きっぱりとこう言いました。ナゼこんなに、きっぱりと言い得るだろうかということが不思議でした。何かの当りがあればこそ、ああして房州へ出て来たのだから、その当りは途中の災難で外れたにしても、この女が江戸へ帰らなくてよいという理由はなかりそうです。江戸でなければこの女の仕事はありそうにもなし、またとにもかくにも、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百といったような男を江戸には残して来てあるはずです。
 けれども、駒井甚三郎は、それをよいとも悪いとも言いませんでした。
 お角の料理してくれた昼飯を食べてから、また海岸へ出かけて、どこで何をしていたのか、夕方になって帰って来ました。
 そうして番小屋の炉の傍で、お角の給仕で夕飯を食べながら話をしました。清吉のことは、もう諦めてしまっているようです。その話のうちに、甲州話がありました。けれども、その甲州話も、政治向のことや勤番諸士の噂などは、おくびにも出ないで、甲州では魚を食べられないとか、富士の山がよく見えるとか、甲斐絹《かいき》が安く買えるとか、そんな他愛のないことばかりでしたからお角は、この殿様がどうしてかの立派な御身分から今のように、おなりあそばしたかということを尋ねてみる隙《すき》がありませんでした。
 それから、お角の身の上を徐《おもむ》ろに甚三郎が詮索《せんさく》を始めました。詮索というと角が立つけれど、実はそれからそれと穏かに尋ねられるので、お角も、つい繕《つくろ》い切れなくなって、女軽業《おんなかるわざ》の一座を引連れて、甲府の一蓮寺で興行したことから、このごろ再び両国で旗上げをするために、実はこの房州の芳浜というところに珍しい子供がいるそうだから、それを買いに来て、途中この災難ということを、すっかりと甚三郎に打明けてしまいました。打明けねばならぬように話しかけられてしまって、打明けてから、つい悔ゆるような心持になりましたけれど、甚三郎は一向、そんなことを念頭に置かぬらしく、
「それは面白い仕事であろう、拙者はまだ軽業というものを見たことがない」
「お恥かしうございます」
 さすがのお角も、なんだか赤くなるように思いました。
 話が済むと甚三郎は
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