れて行っておくれ」
お君に、こう言って歎願されても、こればかりはムク犬も返答に困るらしくありました。
「いけないかい、こればかりはお前にもできないだろうね、そうでしょう、殿様はこの国にいらっしゃらないのだからね、海を越えて西洋というところへおいでになってしまったのだから、いくらお前が賢い犬でも、トテモ西洋までは行けやしないからね、これは、頼んだわたしの方が悪いのさ、わたしの方に無理があるんだから仕方がない」
お君は、こんなことを言いながら、池のまわりを歩いて行きましたが、
「けれどもね、無理のない言いつけなら、お前きいてくれるでしょう、わたしの頼みが間違っていなければ、お前は頼んだ通りによくしてくれるでしょう。そんならお前、友さんの居所《いどころ》を教えて頂戴、米友さんはどこにいるか、そこへわたしを連れて行って頂戴、ね、そうでなければあの人を、ここへ呼んで来ておくれ。いいえ、あの人はきっとこの近所にいるのよ、近所にいるけれども、わたしをにくがっているから、それで来てくれないんだね。けれども、わたし決して友さんににくがられるような悪いことをした覚えはないのよ、あの人は気が短いから、一人で勝手に怒っているんだけれど、よく話をすれば、わたしのことだもの、そんなにわからない米友さんじゃないわ、わたし、もう一ぺん、ようく話をしてみたいと思うの、あの人を怒らしておいちゃ悪いわ、ほんとにあの人はいい人なんだから、怒らしておいちゃ悪いわ。けれども、どうしてあの人はあんなに気が短いんだろう、甲州で別れる時にも、わたしばかりじゃない、あの殿様を大変に悪く思って別れたんだから……殿様を敵《かたき》のように悪口を言って出て行ってしまったのは、お前もあっちにいたから、よく知っているでしょう、それがわたしにはどうしてもわからないの。殿様は悪いお方じゃありません、米友さんもちっとも悪い人じゃありゃしない、それだのに、どうして仇のように思うんでしょう。殿様は、あんなえらいお方でいらっしゃるし、友さんは、わたしと同じことに、とても身分は比べものにはなりゃしないけれども、それでもわたし、米友さんに憎まれるのはいや。いったいわたしゃ、殿様と米友さんとどっちがいいんだろう、どっちがほんとうに好きなんでしょう、わからなくなってしまった」
ムク犬は、もとよりこの疑問に答うべくもありません。
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