っと小いきな男で、片腕が一本無えんだ……身なりは、これこれ」
老爺《おやじ》は慌《あわ》ててそれを引取って、
「ええ、ええ、間違いございません、確かにおいでになりました、たった今でございます、小一時《こいっとき》ほど前のことでございます、ここで甘酒を召上りになって、角兵衛獅子に散財をしておやりなすった親分がそれなんでございます、その通りのお方でございました」
「そうだろう、そうなくっちゃならねえのだ……先生、そいつはがんりき[#「がんりき」に傍点]の奴の道具でございます、あいつ、何かに狼狽《あわて》たと見えて、ここへこんなボロを出して行ったのが運の尽きですな」
「なるほど、そうしてみるとよい獲物《えもの》だ」
「爺さん、それからどうしたい。その片腕の男は、角兵衛に散財をして、それからどっちの方へ出て行きました」
「エエ、なんでございます、多分、お山を御見物でございましょう。お帰りにお寄りになるとおっしゃったから、金洞山《こんどうざん》から中《なか》の岳《たけ》の方をめぐって、そのうちには、また私共へお戻りになるでございましょうと思います」
「そうしてその男は、一人っきりだったかね、それとも連れがあったかね」
「左様でございます、おいでになった時はお一人でしたが、お出かけになる時は、どうもあれはお連れでございましょうか、それとも別々なんでございましょうか、よくわかりませんが、強力が五人ほど一緒に連れ立って参りました」
「それだ」
山崎譲が、その時に足を踏み鳴らしました。
「どうやら、先生のおっしゃった通りの筋書でございますな」
「そうだろう、どのみち、それよりほかにはないんだ」
「それでは、出かけようじゃございませんか」
七兵衛から促《うなが》されて、山崎譲は、
「まあまあ、待て」
甲源一刀流の額面を仰いで、何をか一思案の体《てい》に見えました。
七兵衛が草鞋《わらじ》の紐を結んでいると、額面を仰いでいた山崎は、
「ちょっ、どう見ても癪《しゃく》にさわるなあ」
と舌打ちをしました。
「全く、あいつは、小癪にさわる奴でございますよ。そもそも、私共が、あいつと知合いになったのは、東海道の薩※[#「土+垂」、第3水準1−15−51]峠《さったとうげ》の倉沢で鮑《あわび》を食った時からでございますがね、その時から、あいつは無暗に、私に楯《たて》をついてみたがるんで、
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