みました、紙の上から、ちゃあんと見透しました、千里眼ですよ、失礼ながら先生にはそれがお出来になりますまい」
「何を言ってるんだ、そんなことがわかるものか」
 ここに二人の道中師という、その年配の方のは七兵衛であります。そうして横柄な方のは、もと新徴組にいた浪士の一人で、香取流の棒を使うに妙を得た水戸の人、山崎譲であります。
 七兵衛と山崎譲とが、こうして組んで歩くことは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が南条力の手先になっていることよりは、むしろ奇妙な縁と言わなければなりません。
 壬生《みぶ》の新撰組にあって山崎は変装に妙を得ていました。七兵衛が島原の遊廓附近に彷徨《さまよ》うて、お松を受け出す費用のために、壬生の新撰組の屯所《とんしょ》へ忍び入った時に、山崎はたしか小間物屋のふうをして、そのあとを追い、さすがの七兵衛の胆《きも》を冷させたことがあります。
 それがいつのまに妥協が出来たのだろう、こうして主従のような、同行《どうぎょう》のような心安立てで歩いているまでには、相当のいきさつがなければならないことです。
 思うに、七兵衛とがんりき[#「がんりき」に傍点]とは、甲府の神尾主膳の屋敷の焼跡を見て、その足で木曾街道を一気に京都までのし[#「のし」に傍点]たはずであります。山崎譲はその以前、同じく甲府の神尾方へ立寄って、それから道を枉《ま》げて奈良田の温泉に入っている時に、計らず机竜之助――それは新撰組では吉田竜太郎の変名で知られているその人に逢いました。そこで竜之助と別れて後、上方《かみがた》へ馳《は》せつけたはずであります。また南条と五十嵐との両人も、何か上方の変事を聞いて大急ぎで東海道を馳せ上ったはずであるから、彼等は期せずして上方の地で一緒になったものでしょう。そうして、がんりき[#「がんりき」に傍点]は南条、五十嵐らにつかまってその用を為すに至り、七兵衛は山崎譲につかまって、何かの手助けをせねばならぬ因縁が結ばれたものと思われます。
「先生、あなたも少々お頭《つむり》を捻《ひね》ってごらんなさい、すぐにそれとおわかりになることじゃございませんか」
「なに、貴様にわかって、拙者にわからんことがあるものか」
と言って、改めて甲源一刀流の開祖、逸見太四郎義利の文字から読みはじめて、門弟席の第一、比留間、桜井、その次の白紙の主を、紙背に徹《とお》るという
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