ざいます、あの里へお入りになったものが、宵《よい》に来て宵に帰るというようなのはたんとございません、それよりか宇津木様、お忘れ物のないように、くれぐれも御用心をしていらっしゃいまし」
「これでよい、何も忘れ物はない」
「左様でもございましょうが、ほかへ参るのと違いまして、あの里へ参るんでございますから、御用心の上に御用心が肝腎《かんじん》でございます、その御用心が足りませんと、飛んだ恥を掻くようなことがあったり、またみすみす大事なものを取逃がすようなことがないとも限りません、あの里ばかりは別な世界でございますからな」
遠廻しに言うけれども、やはり、その帰するところは同じようなことであります。
「なるほど」
兵馬は、それを覚《さと》らないほどに迂闊《うかつ》ではありません。そこを金助が見て取って、
「何しろ、先方様は大籬《おおまがき》へ、茶屋からお上りになったんでございますからね、こちらもそのつもりで二十両や三十両がところは用意して参りませんと……」
金助からそう言われて、兵馬はハタと当惑しました。兵馬の懐中にはその当座の小遣《こづかい》として、二三両の金を持っていたばかりです。「
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