てみると、果して昨夜の納まりは容易ならぬことでありました。なんでも、いったん神尾の門前を引上げた彼等の群れは荒川の岸に集まって、手負《ておい》を介抱したり、善後策を講じたりしているところへ、不意に与力同心が押寄せて、片っぱしからピシピシ縄にかけたということであります。縄にかけられないものは、命からがらいずれへか逃げ散ってしまったということであります。
 それだけの評判が長禅寺の境内までも聞えたから兵馬は、また急いで例の姿をして町の中へ立ち出でました。
 右の風聞のなお一層くわしきことを知ろうとして町へ出てみると、町では三人寄ればこの話であります。それを聞き纏《まと》めてみると、長禅寺で聞いたよりはいっそう惨酷《さんこく》なものでありました。
 神尾の門前を引上げた彼等が集まっていたのは、下飯田村の八幡社のあたりと言うことであったということで、そこへ踏み込まれて、ピシピシと縄をかけられた数は二十人という者もあるし、三十人というものもあり、或いは百人にも余るなんぞと話している者もありました。
 その縄をかけられた者共の処分について、ずいぶん烈しい噂《うわさ》が立っていました。一人残らずその
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