三

 それから三日目の朝のこと、笛吹川の洪水《おおみず》も大部分は引いてしまった荒れあとの岸を、彷徨《さまよ》っている一人の女がありました。
 面《おもて》は固く頭巾《ずきん》で包んだ上に、笠を深くかぶっていましたから、何者とも知ることができません。
 岸を彷徨《さまよ》うて何かをしきりに求めている様子であり、或る時はまだ濁っている川の流れをながめて、そこから何か漂い着くものはないかと見ているようであり、或る時はまた岸の石ころや、砂地の間を仔細に見て、そこに埋もれている何物かを探すようにも見えました。
 岸を上ってみたり、下ってみたりするこの女の挙動は、外目《よそめ》に見れば、物狂わしいもののようにも見えます。
 差出《さしで》の磯の亀甲橋《きっこうばし》も水に流されて、橋杭《はしぐい》だけが、まだ水に堰《せ》かれているところへ来て、女はふと何物をか認めたらしく、あたりにあった竹の小片《こぎれ》を取り上げて、岸の水をこちらへと掻き寄せました。掻き寄せたものを手に取って見ると、それは白木の位牌《いはい》であります。位牌の文字をながめると意外にも、
「悪女大姉《あくじょだいし》」

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