犬が行くと、土地の犬どもが怖れ縮んで動くことができなかったということじゃ。さてその猛犬は、単独《ひとり》で海を渡って堺へ行くことがある、犬の身でどうして単独で海を渡るかというに、まず海岸へ出て木を流してみるのじゃ、その木が堺の方へ流れて行くのを見て、犬はよい潮時じゃと心得て、己《おの》れが乗れるほどな板を引き出して来てそれに乗る、そうすると潮の勢いがグングンと淡路の瀬戸を越えて、泉州の堺まで犬を載せて一息に板を持って行ってしまう、そこで板から下りて身ぶるいをして、泉州の堺へ上陸するという段取りじゃ。その潮の流れ条《すじ》というのは、それほど急な流れで至って勢いが強い、この潮へ引き込まれた船は帆を張っても力が及ばないで、ずんずんと一方へ引かれて行くのじゃ。それほどの潮条《しおすじ》があることを、犬はちゃんと心得て、まず木を流して潮時を見ておいて、それから筏《いかだ》をこしらえて載るというのが感心ではないか、それ以来、この潮時を別当汐《べっとうじお》と名づけるようになったという話がある」
 お前たちより犬の方が思慮もあり、勇気もあるから、心配するなというようにも聞えました。

      
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