併せて、濁流の岸へ沈枠《しずめわく》を入れたり、川倉《かわくら》を築いたり、火の出るような働きです。ここの手を切られると、水は忽ち日下部《くさかべ》や塩山《えんざん》一帯に溢れ出す。ここの手だけは死力を尽しても防がなければならない。すでに日頃から堅固な堤防があって、昨夜来の不眠の警戒でしたけれども、水の破壊力は、人間の抵抗力を愚弄するもののようでありました。枠を沈めると浮き出し、木牛《まくら》を入れると泳ぎ出し、築いた川倉が見る間に流されて行き、あとからあとから土俵を運んだり石を転がしたり、無用にひとしい労力を昨夜から寝ずにつづけているのでありました。和尚が雲水を叱りとばしているその傍には、珍らしやムク犬がその侍者でもあるかのように神妙に控えています。
 この時のムク犬は、もはやお寺へ逃げ込んだ時のように、痩《や》せて険《けわ》しいムク犬ではありません。火水《ひみず》になって働く大勢の働きぶりと、漲《みなぎ》り返る笛吹川の洪水とを見比べては、自ら勇みをなして尾を振り立てながら、時々何をか促すように慢心和尚の面を仰ぎ見るのであります。
「和尚様、何か御用があったら及ばずながら私をお使い下
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