りに痛むけれども、今どこにドレだけの怪我したものかわからないのであります。
 とにもかくにも屋根の棟へとりついた竜之助は、そこでホッと息をついて面を撫でてみたが、その創《きず》の大したものでないことを知り、水に浸ったわが身を身ぶるいしたのみであります。四辺《あたり》の光景がどうであるかということは一向にわかりません。またいずこに向って助けを呼ぼうとするものとも見えません。ただ自分を載せているこの家が、徐々として動いていることがわかります。出水の勢いは急であったけれど、家の流される勢いはそれと同じではありません。
 続け打ちに打つ半鐘の音は、相変らずけたたましく聞えるけれども、さきほどまで遠近《あちこち》に聞えた助けを求むる声と、それに応《こた》うる声とはこの時分は、もうあまり聞えなくなりました。面憎《つらにく》いことは、この時分になって雨の歇《や》んだ空の一角が破れて、幾日《いくか》の月か知らないけれども月の光がそこから洩れて、強盗提灯《がんどうぢょうちん》ほどに水の面《おもて》を照らしていることであります。
 その月の光に照らされたところによって見れば机竜之助は、屋根の棟にとりついた
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