しさえしますれば、殿様にも御不自由をおさせ申さないようにして上げますし、そのほか、困っているお方には相当に貢《みつ》いでお上げ申すのですけれど」
「してその資本の工面がつけば、何をしてみようというのじゃ」
「それは、やはり太夫元《たゆうもと》をやってみとうございます、今でも両国のあの株を買い戻して、看板を換えて花々しくやってみる分には、そんなに骨の折れたことではございません、軽業を土台にして、目新しいところを二三枚買い込んで、一やま当てるには今が時機なんでございます。その道にかけては、わたしも昔取った杵柄《きねづか》で、今の人たちがやるのを見ていると、間緩《まだる》くて腹が立ってたまりません。この間も両国へ行って見ましたら、やっぱり昔のままの軽業や力持でお茶を濁しているものでございますから、今時、あんまり知恵のない人たちだと、ひとり歯ぎしりをして帰りました。わたしがやっていた時分には、軽業や力持はほんの前芸にしておいて、真打《しんう》ちには、人の思いもつかないものを買い込んで、仲間をあっと言わせ、お客を煙《けむ》に捲いて人気を独り占めにしたものでございます。印度から黒ん坊の槍使いを買い込んで、あすこで打ちました時なぞは、毎日毎日大入り客止めで、大袈裟《おおげさ》のようですけれど、江戸中の人気を吸い取ったような景気でございました。そんなことでずいぶん儲《もう》けもしましたけれど、使いも使いました、一つ当りさえすれば、皆様を五年や十年、遊ばしてお置き申すほどのお金はなんでもないことでございます。今となってみると、あの仕事を手放したのが惜しくてたまりません、ほんのひょっとした意地で、ただみたように、人に株を譲り渡したのがこっちの抜かりでございました、ナニ、金さえあればいつでも買い戻せると思ったのが、あんまりたかをくくり過ぎました」
 お角が、もとの仕事に充分の自信と未練を持っての話を、主膳は首を捻《ひね》りながら聞いていたが、
「強《た》ってその資本が欲しいならば、ひとつその秘策を授けてやろうか」
「お心あたりがございますなら、ぜひ伺いたいものでございます」
「化物《ばけもの》はいるか、あの化物は」
と言って主膳は、荒れた庭のあちらに、大きな土蔵の鉢巻のあたりの壊《こわ》れたところを見上げました。この二人が、かなり下腹に毛のない連中と見えるのに、このほかに、まだこの屋敷に化物がいるのか知らん。
 主膳は化物と言って、土蔵を見ながら、
「は、は、は」
と笑いました。
「いけません」
 お角は自分の口を袖で押えながら、主膳を叱るように言いました。
「聞えやせぬよ、大丈夫」
「御前が左様なことをおっしゃるのは、お悪うございます」
「もう言わん。しかし、お前が言わせるように仕向けるから、つい口が辷《すべ》ったのじゃ、悪い心持で言ったのではない」
と主膳は申しわけのような前置をつけて、それからこんなことを言いました、
「あれはお前も知っているかどうか知らん、あの実家はすばらしい物持で、田地も金も唸《うな》るほどある、しかもその家の一人娘じゃ。あの娘の実家を説き立てさえすれば、少々の金を引出すのはなんでもないことだ。お前、その気があるなら一番やってみたらどうじゃ、甲府から三里離れた有野村の藤原といえば直ぐわかる、そこへ行って主人の伊太夫に会い、これこれのわけでお嬢様をお連れ申したといえば、それこそ謝礼は望み次第じゃ。もし当人を連れて行くのが面倒ならばお前だけ行って、お嬢様はただいまこれこれのところにおりますると注進さえすればよい……しかしあの娘を帰すと、拙者《おれ》の足許が危なくなる、そこはあらかじめ仕組んでおかないと」
「そんなことはできません、わたしはそれほどに計略をしてまでお金を借りたいとは思いません、よし借りられるものにしましても、もう二度と甲州の山の中なんぞへ、入ってみようという気にはなりませんから」
「いや、甲州の山が宝の山なのじゃ、全く以てあの女の実家というものの富は、測り知ることができないほどじゃ、惜しいものよ、あれをあのまま寝かしておくのは」
「心がらでございますね、いくらおすすめ申しても、お家へお帰りなさるお心持になれないのでございますから」
「家へは帰られないわけもあるが、ああ逆上《のぼせ》ても恐れ入る、悪女の深情けとはよく言ったものじゃ」
「わたしは、あれこそ何かの因縁《いんねん》だと思いますね、ただ惚《ほ》れたとか、腫《は》れたとかいうだけのことではありませんね」
「因縁かも知れん。このごろ、拙者もあの女の面《かお》を見ると、なんだかゾクゾクと怖いような心持になるわい」
「あのお嬢様は、たしかに御前を恨んでおいでになります、御前とお面をお合わせになると、きっと横を向いておしまいになりますけれど、御前のお後ろ姿や、横面《
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