えています。投げ銭を受けることは本来この男の本芸であるが、今はホンの前芸にやって見せた手際《てぎわ》、その鮮《あざや》かさが、見物の気に入ったものらしく、
「兄さん、怒っちゃいけねえ、それ、しっかり[#「しっかり」に傍点]頼むよ」
 つづいてバラリと投げる銭の音。
「有難え……」
 受笊《うけざる》をそっと動かすと、誂《あつら》えたように銭はその中へザラリと落ちます。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
 またバラリと投げる銭の音。それからひきつづいて、前後左右から面白がってバラリバラリと投げる銭を、一つところにいて、片手では梯子を押えながら、右に左に手をのばし、前や後ろへ身を反《そら》して、受笊一つへザラリザラリと受け入れて、その一銭をも土地の上へ落すことではありません。
「うめえもんだな、あれだけで一人前の芸当だ」
 面白がって投げる見物と、面白がって米友の銭受けを見てやんやと言っている見物。そのうちに米友は、
「もういい、このくらいありゃあ、もうたくさんだから投げるのをよしてくれ……」
 銭受けの笊を下に置いた米友は、片手で押えていた梯子の両側を、両の手で持ち換えて、
「エッ」
と気合をかけると、高さが一丈二尺あって、桟《さん》が十段ある梯子の頂上まで、一息に上ってしまいました。見物が、
「アッ」
と言っている間に、そのいちばん上の桟へ打跨《うちまたが》って尻を下ろした米友は、巧みに調子を取りながら、眼を円くして見物を見下ろしました。
 ここで後見《こうけん》がおれば、太夫さんのために面白おかしく芸当の前触れをして看客《かんきゃく》を嬉しがらせるだろうけれど、米友にはさっぱり後見が附いていません。太夫自身にも、見物を嬉しがらせるようなチャリ[#「チャリ」に傍点]が言えないから、ただ眼を円くして見下ろしているばかりです。
 いちばん上の桟へ踏跨《ふみまたが》った米友は、そこで巧みに中心を取ってはいるが、それを下から見るとかなり危なかしいもので、大風に吹かれるように右へ左へゆらゆらと揺れます。
 暫らく中心を取っていた米友は、
「エッ」
と二度目の気合で、両の手に今まで腰をかけていた桟の板をしっかりと握り、その上体を右へ捻《ひね》ると見れば、筋斗《もんどり》打ってその身体《からだ》は桟の上へ縦一文字に舞い上りました。
「アッ」
 見物が舌を捲いている間、米友はその
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