この世に永らえているんでございましょう。ただ残念なことには小遣《こづかい》がありませんな。江戸へ着きましたら、少しばかり小遣にありつくような仕事を、お世話をなすっておくんなさいまし。まあ、私共の望みとしてはそのくらいのものでございますねえ」
 兵馬は聞いているうちに、この野郎がかなりくだらない野郎であると思いました。けれどもこんなことを言い言い、自分の心を引いたり目つきを見たりする挙動に、多少、油断のならないところもあるように思いながら、
「金助、お前が、あの神尾主膳の在所《ありか》をさえ確めてくれたら、相当のお礼はする」
「それはなかなか大役でございますねえ」
 金助はわざとらしく大仰《おおぎょう》に言い、
「しかし、あの神尾の殿様は、さすがに苦労をなすったお方だけに、届くところはなかなか届くんでございますから、あそこのところだけは感心でございますがね、あれがまあ、苦労人の取柄《とりえ》でございましょうな」
「苦労したというのはどういうことなのだ」
「どうしてあの方は、なかなか遊んだお方でございますよ」
「苦労したとは、遊んだということか」
「そうあなた様のように生真面目《きまじめ》に出られては御挨拶に困ります、苦労にも幾通りもあるのでございます、日済《ひなし》の催促で苦労するのも苦労でございます、大八車を引っぱって苦労するのも苦労でございますけれど、その苦労とは違いまして、酸《す》いも甘《あま》いも噛み分けた苦労でなくては、苦労とは申されないでございますな」
「神尾主膳という人は、そんなによく物のわかる人か」
「それは人によっては、随分悪く言う者もございますけれど、私なんぞに言わせると、よく分った殿様でございますね、何かというと手首をギュウと取ったり、首筋をグウと押えたりして白状しろなんぞと、そんな野暮《やぼ》なことはなさらずに、金助、これで一杯飲め、なんかと言って下さるのが嬉しうございますね、あの呼吸はなかなか生若《なまわか》い世間知らずのお方にはできません、やはり苦労人でないと……」
「なるほど」
 兵馬は苦笑いをしました。
「そのくらいですから銭《ぜに》は残りません、いつでも貧乏をしていらっしゃるが、ああいうお方に、金を持たして上げたいものでございます、ほんとに金が生きるんでございますけれど、使い道を知っているところへは、金というやつは廻って参りません、因
前へ 次へ
全100ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング