していないし、やがて竿で水を掻《か》き廻すようなことになったら、ミッチリ油を取ってやろうと構えていたものを、海の中にはかなり暢気《のんき》な魚もあると見えて、たとえ一匹でも二匹でも、道庵の針にかかるようなものがあるから、その自慢を聞かせられても苦笑いしているばかりです。
それでもこの一夕はかなり暢気な気分になって、また万八へ帰り、そこで道庵と別れて亀沢町の隠宅へ帰ったのは、夜もかなり更けていました。
この人は旗本の隠居でも、そんなに大身ではありません。三百石ほどの家督を倅《せがれ》に譲って隠居の身だけれども、若い時分から家の経済が上手でありました。それ故に、今の身分になっても裕福であります。
こんなに夜が更けて帰っても寝る前に、ちゃんとその日の算盤《そろばん》を置いてみなければ寝られない癖がありました。他《よそ》へ廻して貸付けさせた金の利廻りや、地面家作の取立てや、知行所の上り高というようなことを、倅に代っていちいち算当して、帳面を記しておかねば寝られない癖です。当時、大名にも旗本にも、内緒《ないしょう》の苦しいのが多く、うわべは大身に構えても、町人に借金があって首が廻らなかったり、また札差《ふださし》をさんざん強請《ゆす》るようなことが、少なくとも己《おの》れの家に限ってはその憂いのないことと、利が利を産んで行く未来の算をしてみると、いつも一種の得意に満たされて、言わん方なき快感を催すのでありました。その快感に浸《ひた》されながら、枕について夢を結ぶのが十年一日の如く、この老人の習慣でありました。
そうかと言って、この老人は吝嗇《けち》と罵《ののし》られるほどに汚い貯め方をするのでもありません。相当のことだけはして、誰にもそんなに見縊《みくび》られもせずに伸ばして行くところは、なかなか上手なものです。今も老人はその算当をしてしまって、幾片《いくひら》かの金を封じにかかると、その窓の下でバタバタと人の走る音がしました。
「はて、今時分」
と封じ金をこしらえる手を休めて老人が小首を傾《かし》げました。老人もかなり夜が更け渡っていることは知っているし、またこの時分は江戸市中がどことなく物騒で、夜更けなんぞは滅多にひとり歩きをするものもないことなぞは心得ているのであります。それを今、窓下でバタバタと人の足音がするから変に思いました。
「あれー、助けてエ」
絹を裂
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